戯言|『世に棲む日日』を読んでいる(1)。玉木文之進って乃木希典の教育もしているのな。

徒然草2.0

『世に棲む日日』を読んでいる。吉田松陰を描いた司馬遼太郎の長編小説で、Xで「面白い」と言っていた人がいたのがきっかけだ。だいぶ前のことだが、母もこの本を読んでいて、吉田松陰や高杉晋作の話をやけに詳しく語っていたのを思い出した。もしかするとNHK大河ドラマ『花燃ゆ』(2015年)の影響かもしれないが、放映時期を考えるとそれより前かもしれない。特定の歴史上の人物に妙に詳しくなると、ふとした日常の中でその人を思い出すことがある。たとえば、今の日本の政治を見て「吉田松陰ならどう思うだろう」と考えてみるのも一興だ。まあ、動機はすべて後付けだが。

物語の序盤では、毛利家の家柄と、それを引き継ぐ家族の姿が描かれる。幼少期の吉田松陰は、貧しい村で農民と同じような暮らしを送っていた。母・お滝はどんな苦境でも明るく前向きに生きる人で、その気質が松陰にも受け継がれたのかもしれない。父・百合之助はやや影が薄いが、最も強い影響を与えたのは松下村塾の創設者で叔父の玉木文之進だ。彼の教育は厳格を通り越して暴力的で、のちに長州藩と幕府の「大罪人」とされるほどの苛烈な思想家を生む土壌になったのだろう。この文之進は乃木希典にも教育を施した人物だという。私心を捨て、信念に殉じる生き方は、幼いころの苛烈な教育の中で刻まれたものなのかもしれない。

玉木文之進は、萩の乱に関わった乃木希典の実弟で養子の玉木正誼(たまきまさよし)をめぐる責任を負って切腹した。その際、松下村塾も閉じられる。介錯は松陰の妹・お芳(かた)が務めたと伝えられている。女性が武士の役割を果たすこともあった時代だが、介錯を誤れば苦しませることになる。史実としてどこまで本当なのか、少し疑わしくもある。

長州藩主・毛利敬親(もうりたかちか)は、有能な家臣を登用しようとする開明的な人物だった。村田清風(むらたせいふう)のもとで藩政改革を進め、財政を立て直し、教育にも力を注いだ。松陰が国家規模の改革を志すようになった背景には、こうした「改革に前向きな藩風」の影響があったのだろう。

徒然草2.0
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