何事も「まだまだ」と言ってしまえばきりがありませんが、他人のことにせよ、自分のことにせよ、だいぶ客観的に物事を評価できるようになっている気がしています。
感性みたいなものは衰えてきて、若者に合わせるというのは、どだい無理な話ではありますが、無理であるからこそ、そこにどっぷり当事者として浸かるのではなく、いい意味で傍観者でいられるということでもある。
傍観者というとあまりいい言葉じゃないから、第三者目線で冷静なスタンスで取り組めると言いましょうかね。
自分ごとには考えられるというのが、若者にとってのメリットではあるけれど、ちょっと距離をおいて俯瞰して物事が見られる目が自然に養われたな、という実感みたいなものが、40ぐらいになると養われた感がするんじゃないでしょうか?
人による?
まあ、だからといって「俺は何でも見られているんだ!」とか、まじで言い出すとヤバいやつになるし、どんなときでも客観的にいられるというわけでもないというか、より歳をとったら感情のコントロールが厳しくなってくると思うので、そうなったら引退してーな。
…ていうか、もう今すぐ引退したいな。やる気ナッシングだな。あまり人前で言うもんじゃないな(苦笑)40過ぎたら早いとか45過ぎたら早いとか言ったりするんで、まだ過ぎていないけれど、スピードが上がってくるらしいので、ちょっと楽しみです。
30代ももうわりと終わりに差し掛かっているけど、20代と比べて長かったかな?というと、そうでもないかな。そういう意味では(まだ終わってないけど)30代はわりと波乱だったのかもしれない。まあ、時間の経過が早くなっている感はあるけどさ。ああ、1日が終るの早えーな。
で、話は変わるけど、40代は波風を立てずに穏やかに過ごしたいものですな。
…なんて言っても時代というか市場が「やる気がないやつだ」と言って認めてくれない気がするのと、あと自分はサラリーマンの仕事的なキャリアの観点からは、スペシャリスト指向でもなければマネジメント指向でもないので、可能であればクリエイティブ指向でいたいとかいいつつも別に何もつくってこなかったし、これからも何かつくれる気があまりしていないので、さて、どうしたものかな。
やっぱり引退したいな。
で、誰にも評価されないものをつくっていたい。
いや、本当は評価されたい。
客観的に第三者目線で物事が見られるなら、昔よりかは他人にそこそこ評価されるものが、作りやすくなったりしないのだろうか?いやされるはずだ。そうだそうだ、そうに違いない。
自分はすごいという自己本位な当事者の思い込みがあればこそ自己満足にものを作っていられる。イッツ、クリエイション!(なんか、さっきと言っていることが違う気がする)
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