日本という国は今も昔も無能には厳しい社会です。そして無能には人権がない。
しかし「生まれながらの人権」というものを海外から輸入して表面的には人権があることになっている(違和感)でもやはり輸入された人権は、日本人が独自解釈したもので西洋人が考える人権概念とイコールではない。というよりまったく違うものである。
正しくそのへんの感覚を推し量るためにも「日本人には人権という考え方ががない」というくらいに考えていたほうが、色んなことをさっぱりと考えられる、という気がしている。ただ完全に無いというわけではなくて、私の考えでは、日本固有の人権概念がある。それが西洋人の歴史館によって正確に描くことは難しい…たぶん日本人自信がその像を自分自身の中に描けていないことに問題がある。憲法に定められた人権を守ろう!と声高に叫ぶ政治団体を応援してもいいが、個人的には(そもそも人権の定義が定まっていないのに”個人的”なんて言葉は使えないと考えている。なぜなら、人権は個人という概念に係る言葉だから)、日本人の人権意識は西洋人と似て異なるので、むしろ憲法で定められた西洋式の人権を一応は建前として正確に捉えて時に盾として自分の身を守ることに活用はしつつも、日本独自の人権性をより正確にもっと言えば深化/神化/進化させていくことが重要なのではないか。これは改革的な話でもありまた保守的な話でもある。
…話がだいぶそれた。『鬼滅の刃』を読んでいますが、小学生に流行っているわりには、清々しいほどの西洋的人権無視をちゃんと描いている。これを日本のサヨクが批判していないことは、日本はもう一歩進んでいるなという気がしています。まあ、自らの意思で進歩したのではなくて、もともと西洋的人権を日本人はまったく理解していないというべきでしょう。鬼滅の刃に限らずこの手のストーリーではよくある描写なのでシリアスだとさえももはや感じ取る人はいないでしょう。
竈門炭治郎は弟妹と母を鬼に惨殺された。冨岡義勇戦では妹の禰豆子を守れない無力を詰(なじ)られながら戦う。守れなきゃ無能あつかい。人権ありません。現代と相変わりません。負けてはならない勝負というより負けたら終わり。主人公なので勝って当たり前。ただ、それだけ。残酷な理だけど日本人の真理。
サヨク的なことを言えば、よくこれ小学生に読ませるよね。
あと炭治郎の場合は欠点として目立たないが、炭治郎は清々しいほどにバカ正直かつ素直です。不意打ちを嫌い鬼に声をかけてから正々堂々と斬りかかる姿からも伺えます。
大正を経て現代に至る時代の過渡期を描いている作品なんだね。
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