自己否定していますか―?そんなどストレートに聞いても「してないよ」って言うかもしれないけど、深く深く考えてみてください。。
自分の場合はブログを書くことも、ある種の自己逃避かな?と思っているところがありますが。そうでないところもあるので、すべてが自己逃避とは言わないまでも毒をアウトプットするのに、一役買うところが在る気がしています。
そういえば、中田敦彦のYoutuber大学で取り上げられていた「反応しない練習」についての解説が勉強になりました。ブッダについては、イヤというほど本を読んだけどまだ知らないところがあるというか、悟り得てないとことがありますが、このくだりがとても勉強になりました(私なりに要約してしまいましたが)「自己否定は承認欲求を満たすための攻撃と逃避を生み出す」
ふむふむ、なるほど。
これは深い。参考にした動画のリンクはこちらです↓
【反応しない練習①】あらゆる悩みが消えていくブッダの考え方(The Practice of Non-Reactivity -Teachings of the Buddha)結局ブッダ!
私の自己逃避…のクセを見つめてみる。明らかに自己逃避だなーというのがお風呂に長居してしまうこと。とるに足らぬ動画を延々と眺めて夜中になってしまうこと。とるに足らぬゲームを延々とやってしまうこと。やらなきゃいけないことがあるのに、本を読んだりマンガを読んだり動画を見たり別のことをやてしまうこと。
・・・それは承認欲求を満たすための逃避…なのか?ちょっと違う気がするのだが。やりたくない理由はつきつめると面倒だとか疲労が溜まっているとかもあるけど、ただ失敗したらどうしようという思いから心のブレーキが掛かっていることも多々ある。
取り組むのを先延ばししてしまう理由は、失敗することにより自己否定されることと捉えているところがあるからだ。そう捉えると「承認されないのが嫌だ!」と思う気持ちの前段階に、自己承認の欲求が在る。実は全て繋がっていたんだー。なるほどー。
逃避行動はやりたくないことから生じているのは理解していましたが、やりたくない理由は嫌いとか疲れるとかもあるけど、認められないから嫌!って感情が実はあったんだ。いや、まあ、気づいていないということはなかったけど、すべては自己否定から始まっているという捉え方はしていなかった「目からウロコ」が落ちた。
さらに人を「攻撃」してしまう。イラっとして他人に八つ当たりする。これも、してしまいがちですが。結局は自分が正しく評価されないのが腹立たしいという見栄というか嫉妬というか、そういう気持ちからきています。自分を許せて他人を許せていれば怒りは生じようがありえません。自分は悪くない相手が悪いということはもちろんある。逆に自分が悪くても悪くないと思いたいという思いがあるときがある。
それでも、そういう気持ちのいきつくところは自己承認欲求であり、自己否定している自分がいるからである。というわけで自己否定という行為が辞められることができれば、怒りに寄る「攻撃」や「逃避」が亡くなるよーというわけです。
よって自己否定をやめましょう。ふと自己否定している自分に気づいたらそこから意識を離してあげる。それができれば苦労しないよーというのはあるわけだけど、結局のところ仏教の悟りは理解であり技術である。手放すことによって嫌な気持ちが生じなくなる。その方が生産性が高くなる(というのは、資本主義的な別の欲求を満たすためなので個人的な願いというか別の欲なのだが)。自己否定は自分のためひいては他人のために何もうまない。
心が反応していることに気がついたら、その気持ちをうまく捨ててやろう。その手のエクササイズ(瞑想やラベリング)などのアンガーマネージメントスキルが学べるびたいです。てかアンガーマネージメントスキルって仏教にも繋がっているんですね。言ってしまえば当たり前だけど、気づいていなかったかも。
コメント