仏教では宗派によって解釈は違えど、自我を捨てられることが悟り。
…で、自分を捨てることが求められる日本社会。
なんか、この2つ合致シている気がする。。。
邪魔な自己が消えればいいのにと、何度も思ったことが在る。
が、消えないんですよね。
…というより結論から言えば消しても何もいいことない。
他人にとっては在るかもしれないが。。。
軍隊の駒とか、カルト教団の信者とか、都合のいいところでは求められる人材。
スタンリー・キューブリックの映画「フルメタル・ジャケット」で、訓練中にラリった訓練生が上官を撃ち殺したのに既視感を覚えた。
行き着くところはこれだ。
このくだらない世を生きていく才能。
もっとも必要ながら、社会から求められないこともあるという、極めて矛盾したモノ。
うぬぼれ。己の自我。自己肯定感。ようは自己中。自己中心的状態の維持ができればいい。
それを維持するために、自己中心的になり、自画自賛を繰り返し、自己肯定の暗示をかけまくる。
それで、どうにか正気を保っている。
無意識にそれができていて、それが他人にとって嫌らしくない人なら、人生イージーモードかも。
まっとうなやつほど、まともじゃない。まともじゃないなら、この世にもういない。
だから、まっとうなやつのふりをするために、まともじゃないことをやり続ける。しんどい。
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