「条件付きの承認」だそうです。
なるほどー、という感じですね。
愛という文字が承認という言葉に変容している気もしますが…愛の反対は憎いとか、そういうのかなと思ったんですけど、そうじゃなくて、、承認されないことなんだと言ったほうが、言われて妙にしっくりくる気がしませんか。
でもって、無条件の愛なんてものは、残念ながら想像上の産物をの除いては、そうあるものでない気がします。
…あえて言えば、幼い子に対する親の愛がこの無条件の愛かもしれません。ただ、それはわが子という条件があるような気がする。
やっぱり「想像上の産物なのでしょう」
思考力を持ちアイデンティティが有る私たちは、どうしても何らかによって承認されたいものです。
おそらく、イエスが信じた神様ぐらいしか、この愛を無条件に与えてくれないということになるんでしょうか。
そして、この世に自分がいることに違和感を覚える人は、いやそうでなくとも言えることだと思いますが、、
この条件のない愛などというと、なんだか聖書を読み慣れていないせいかくすぐったいですが、承認が欲しいか?と言われると、自分が成したことによる正当な評価というものを不要とする人はいないので、欲しいというところになるでしょう。
そこに条件がどのように絡んでくるかどうかは別にして、承認を人は必要としている。
それを逆に愛と言い換えなおせば言わずもがな。
人は、つねに愛を欲しているということになるでしょう。
愛が欲しいなんて言うと、すぐに恋愛に結びついてしまいますが、もっと広い定義で言えば「承認」です。
満たされない思いがあるのならば、形は違えど誰しも必要になってくる。
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