戯言。活字は現実ではなく、現実は活字ほど面白くないので、1日中本を読んでいたいが、それは善い行いか?

徒然草2.0

2024/06/03。今日の学び。

…思考実験をしてみたい。

漫画を一生読んでいたい。ゲームを一生やっていたい。

…思考実験じゃなくて、私の願望かもしれないが。

これだけだと、ちょっと残念な人の感じはするが…

漫画評論家として飯を食う人もいるかもしれない。

プロゲーマーで億を稼ぐ人もいるかもしれない。

そしたら、世間的には素晴らしい人になるかもしれない。仕事にしていれば素晴らしい人で、仕事にしていなかったら素晴らしくない人という判断も実のところそんなに単純ではないが…。

結局のところ、入り浸る媒体(漫画とかゲームとか)そのものが悪いわけではなく、そうした媒体に対する関わり方の問題に過ぎない、ということが分かる。

これは何に関しても言えることだ。

小説を呼んでいたい。音楽を弾いていたい。絵を描いていたい。本を読んでいたい。VRの世界に旅立ちたい。精神世界を漂いたい。何も無い世界に行きたい。異世界転生したい。現実逃避したい。

さーて、どれで世間的に評価されようかね?

他人の目を気にせず自分が納得するという点を評価においてもいいが、よくかんがえるとどれもしてみたいことだけど、どれも自分には無理な気がしてくる。

あ、いや現実逃避はできるか。

でも善い現実逃避って何だろう?

ストレス解消になるとか、短時間で済み時間を無駄にしないとかかな。

なんだかこれも生産性を上げる仕事がからんできた話になっている。

心の底から楽しめるとか…だったらいいかもしれないけど、客観的に”のめり込んでいる”というのと何が変わるんだろう?ということになる。趣味に耽る善い没入感と悪い没入感の基準はいかなるべきか。

ソクラテスは哲学で世界の成り立ちを他の哲学者と同様に考えていたが、いつからか晩年に至っては善い行いとは何なのか?を追求するようになったというが、私達は善いの基準がないから迷うのである。善いことがわかっていればそれに従えばいいだけで生きるのが楽になる。

こんな話を誰かにしたところで「趣味は楽しければ善い」くらいの話しかでてこないだろうが、考えてみると難しい。

徒然草2.0
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