だから、頭の悪い俺には関係のないことだ。
で終わってしまうと、何も書くことがないので、頭のないなりに深堀りというか気ままに掘り返してみる。
「ああしとけばよかったな」って、もやっとした考えを、だれしも頭の中に描く時はあると思います。
…けれど、もっとピンポイントで、深堀りして、ああしてこうして…って考えないよね。考えていたら過去に縛られている人。方向性を間違えば病気。だいたいそんな完璧な反省ができるなら、前もって完璧な計画を立てておくべきだし、多分その人はそうしているはずで、そういう人が反省していることを後悔と言うのなら意味がありますが、無計画で着の身着のまま情報収集もせずに勉強をもせず努力もせず積み重なて来なかった人には、後悔もクソもない。
好きな人に告白しておけばよかったとか、あの大学に無理しても受験しとくべきだったとか、心残りなことを語ってノスタルジックになっている人を見かけるが…そういう気分に浸りたい方が見るコンテンツとして見かけているだけ。普段から見せられても薄い。逆にそういうのに感動をし始めたら、死期が近いな、というときだから気をつけたほうが良い。いや、気をつけてどうなるものでもないので、心境の変化があったと捉えるしかない。動画とかに出てきた時はサラッと見てスキップする。
後悔をアウトプットするにせよ、アウトプットされたコンテンツとしての後悔を受容するにせよ、いずれにしても後悔している後悔させられているその本人はそれでいいのですが、ただの心の作用としてそうなっているだけ…だとすれば客観的には距離を置きたくなる。
あの時に知っていれば、ああしたのにこうしたのに…、もちろんそういうささいなことは人間ありますが。
でも、当時それができたかというとできなかったので、やっぱり悔やんでもしょうがない。ポジティブになれという精神論で言っているのではなく、ロジック的に不可能だし心の動きとして不自然だということ。強いて個別具体的な後悔としてあるとすれば「あれ買っておけばよかったな」ならよくあるかな。
まあ、それも結果論ですが…
なぜなら、今のほうが値段が上がっているから。
・あの会社の株式を買っておけばよかったな。
・アベノミクスの前に住宅ローンで都心のマンションを買っておけばよかったな。
・ビットコインあり金すべて突っ込んでおけばよかったな。
ただの金銭欲(汗)
でも、今はその選択ができない=これが現在の自分の選択の限界なわけです。
10年後、20年後、「あれ買っておけばよかったな」はもちろんあるんだけど、
あり金すべてつっこむ確信を持てない自分がいるからリスクヘッジをしてS&P500を買っておけば、
まーまーAIや暗号通貨の銘柄に投資しつつ他のアセットも持てるから安心だと考える。
やっぱり一切の後悔はありません。
「まじめに後悔しているおじさん」とか「まじめに後悔しているおばさん」とか虚構に近い。
リアルに語っている人がいたら、
自分より若い人に向けてメッセージを残すためにひねり出しているだけ。
当たり障りない、生暖かい眼差しで、見守る心の余裕が欲しい。
コメント