戯言。感性は時代とともに陳腐化するので、不変的な価値だけを追求する。

徒然草2.0

なぜおじさんは気持ち悪いのか?」Quoraの投稿は基本的に嫌いなので(苦笑)真面目に読んでいませんが、おじさんが気持ち悪いのは生理現象とか老化と言ったものではないようです。生理的なものであれば、清潔感を大切にするとか、余計なことを言わないとか、そういうことに気をつけるしかないわけですが、、、私もふと色々と考えてみたのですが、おじさんが気持ち悪いのは論理的なものであり自覚的であれば回避できることではないでしょうか。

…もっと私の言葉でいえば、客観的な分析対象になりうるものだと思います。

つまり、自分の中に見いだした「おじさんの気持ち悪さ」は気をつけることで、改善が可能であるということでもあります。

おじさんにはおじさんらしい社会的な振る舞いが求められているのであり、まずそこが相互に「分かっている」という信頼関係が必要つまるところ”おじさん道(どう)”という伝統芸能における守破離があるとすれば、守の部分をズラさないことが大前提で基本ではないだろうか。

ちなみに、おじさん道とは、「君たちはどう生きるか?」じゃないですが「おじさんはどう生きるか?」という、つまりは社会的にある程度成熟したと周囲に思われているであろうおじさんが、カッコよくはちょっと理想すぎるが無難にこの世知辛い現代社会を歩んでいくために修身すべきスキルでありマインドセットです(適当)。

で、世の中のおじさんが気持ちがわるいのは「信頼関係の部分がない」のにも関わらず「破」に移行するから気持ち悪くなるのではないだろうか?と私は思います。

例えば「9浪して早稲田に入った大学生(31歳の男性)さん、女子大生2人の残酷な本音を聞いてしまい泣く・・・」大学に9浪したことをネタにしている人(名前は興味がないので知らない)が、歳をある程度とってから大学に入ってきた”おじさん”を指して、若い女子大生が「歳をとってから大学なんかくんなよ」と言っていることに対して反発するのは、おじさんとして良くない態度です。和の道に進んでこそ理想のおじさん道というものではないでしょうか?

この若い女子大生の感性もよく分かる気がします。同じくらいの年齢の男女で和気あいあいとした大学生活を送りたいのに、そばにイケてない”おじさん”が居たら視界にいれたくない気持ちも汲み取りましょう。

…これは想像でしかありませんが、ここで大切なのはおじさんが「おはよ~」って女子大生との心の距離が不明な状態でフレンドリーに話しかけることが”キモチワルイ”のであって、社会人経験が豊富なイケオジになれとは言わぬまでも、ルールから外れていないおじさんだったとしたら、そこまで陰口をされない可能性も大いにあるのではないかと思うんですよね。

31歳でおじさんって言われないといけねーのかよ!と思うかもしれませんが、私の感覚からすると28歳から男はおじさんですね。大学生の感覚からするともっと若い時から”おじさん”でしょう。歳を増すにつれておじさんの幅は下限が少し上に上がり上弦が更に上に上がって行くと思われるのですが、、、

いずれにしても私は、男たるものと生まれたからには、

20歳までに「君たちはどう生きるか?」を決めないと行けないし、

25歳までに「生きるか死ぬか」決めないと行けないし

28歳からは「おじさんはどう生きるのか?」を決めないと行けないのだ。

と昔からずーっと考えてきました。と、今さっきそういうことにしました。

例えば「おはようございます」と丁寧語で挨拶するところから初めて、うまい具合に自己紹介して自分が大学にいる理由を知ってもらい、それとなくどういう人であるかお互いに知った上で、もうすこし砕けて「おはよ~」にしていいか?(聞くのがちょっときもいが)で、女子大生に了解を得れば(それでも嫌がられる可能性は大いにありますが)そこまで大事(?)には至らなかったんじゃないかなぁ。と思うのだ。

というわけで書くのがダルくなってきたので結論を言うと、身の丈に合った”おじさん道”を私たちは歩むべきであるということ。

あとはそれに加えて、Webコンテンツという意味では、私たちの感性はどうしても年齢により差がある。昭和の価値観であれこれ言っても、平成の価値観を持つ人に伝わるはずもなく、令和の価値観を持つ人からすると、ちんぷんかんぷんだ。でも、古典的な名著の言葉は時代を超えた普遍性があるよね。だとすれば、無理に流行りを追わず上の世代や下の世代の価値観に迎合することなく、プリンシパルな価値観を磨いていったほうがよくね?というのが私の持論だ。他者理解という意味では若い人の考え方や自分より年上の人の考え方に目を向けることは大切だからけして疎くていいという気はないむしろ貪欲に知るべきだけど、同年代の人のマーケティングは同年代の人がやるほうが基本的に間違いない。

長期的に学習コストは普遍的価値観>世代的価値観であり、価値観は育てるものであり理解するものではあるが、世代的価値観の養成は基本的に文字で理解する他に無いので無理をしないことが大切。けして無理をしない無茶もしない、それがまともな”おじさん道”の守である。

…というわけで、おじさん道とマーケティング的な価値観の話を混在させたので”わけわからんく”なったけれど、突き詰めていければどちらもおもしろい話なんじゃね。市場ウケがいいのは当然ながら”おじさん道”のほうだろう。とうりゃんせとうりゃんせ、ここはどこの細道じゃ。おじさんの細い道狭き門きわめんとするものこの指とまれ。あ、いいこと思いついた。イケオジあつめたイケオジサロン…イケオジそこにはいなさそう。なんか自分で言っていて矛盾している気がするわ(苦笑)

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