嫌なことをして生きるな-と思うんだけど、だいたいやっていることは嫌になる。
やっていることが嫌になるなら、なにもしなけりゃいいのかもしれないけど、なにもしないのも嫌になってくる。とはいえ、何もしないというのがどんだけ嫌なことか。嫌ではないが退屈だった気がする。子どもの頃の夏休みとか。1ヶ月ぐらい何もしていない。可もなく不可もなしな時間だった。まあいいや、とりあえず退屈は嫌な時間だったってことにしておこう。
そうなると、生きていて嫌なこと、ひいていえばやりたくないことしかない気がしてくる。
どうせ嫌なことしかないなら、あまり嫌なことじゃないことと、すごい嫌なことを選んで、あまり嫌なことじゃないことを選ぶものかと思いきや、それも退屈で、だからと言って、すごい嫌なことを選ぶのもどんだけマゾヒストかということになりまして、それで喜びを覚えるかというと別に喜べないからマゾヒストというわけでもない。
すごい嫌なことは、やっぱり嫌だ。やりたくない。
結局のところ嫌だとか嫌じゃないとかいうことは、やるかやらないか。
…なんか言いたいことがブレたが、長い目で言えば、
・人生にはやりたくないことしかないんじゃないか
・やりたいことややりたくないことと、嫌なことと嫌じゃないことは違うんじゃないか
もう1つおまけにいえば、やたら集中していて、
嫌とか面倒とか思わない時間もある…それが望ましいとか好きであるか?と言われると、
別にそうじゃあないんだよね。だから、好きなことに没頭するってなんかおかしいよね。
好きなことだから没頭しているわけじゃなくて、嫌い事だけど没頭していることもあれば、
面倒だけどやっているうちに没頭するわけじゃないじゃないか。
好きなことだけど面倒くさいっていうのはないかもしれないけどさ。
好きなことだから延々とやっていたいっていうのも、ただの依存症で不健全な気がします。
まあ、好きで健康的なことだったらいいかも。健康は結構生きていく上では重要だと思うというか、健康だから生きているってことはあるので。(そうじゃない例もあるけど)
いずれにしても好きと嫌いとやりたくないことやりたいこと、はっきりしていたら正直でいいんではないか。
愛想笑いは相手のためもあるけど、自分のためにはならないので、めんどうくさいこと。自分のための愛想笑いなんてもってのほかで、精神が分裂してしまう気がする。
やめたほうがいい。
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