22,3の頃、2年ほど務めていた仕事をやめた。理由は色々あったし、どうとでも言えるが、当時の悩みとして「どうも自分は人生経験が足りない」と思っていた。
もっと広い視野で仕事を捉えれば新たな道が拓けるのではないか?と考えて、その当時からその自覚していましたが「自分探しの旅」をしていた。自分という人間がよく分からなかった。
とはいえ色々なことを試してみたいがお金のない若者で、できることは限られていた。
色んなルバイトをしてみたり、個人事業主として活動したり、とにかく人に会って話をしたり、本を読んでみたり、そんなことをしていた。脱サラをして生きていけないか?という方向でも生きる道を模索などもしていた。
…色々なことをしていくうちに、30歳くらいのIT社長に出会った。
その人は格闘技をやっていたらしい。私が一番熱心に取り組んできたスポーツは柔道だったこともあり、お互いに共通点だと思ったのだろう。1度飲みにいく機会にそんな話をした後に彼は聞いた「きみが一番怖い相手ってどんな人」オープンな質問でどう回答するのがいいか分からなかった。
そもそも正解なんてないのに、ベストな回答があるなんて思っている次点で、私の思考と回答はぎこちがないものだった。格闘技の話が事前にあって、からそれに引きづられたのだろうが「体が大きい人や背が小さい相手は戦いづらいが、中でも捨て身の人は怖い」というようなことを言った。柔道の技は極まってしまえば、3秒で試合が終わってしまう。捨身技という奇襲戦法もある。「自分を捨ててくる人は、何をするか分からなくて怖い」それを聞いたIT社長はわざとらしく軽快に声を高くして笑った「僕が怖いと思うのは、愛する人がいる人だ」と言った。あーなるほど。大人の回答だと思った。そうだよね。守りたい人がいるから人は強くなれる。ステレオタイプだけど絵に描いたような間違いないベストな回答だ。1本とられたと思った。
後で知った話なのだが、その人は私と飲みに行った頃に結婚をしたらしい。ああ、だからそんなことを彼は言ったのか。格闘技をしていれば分かる話だが「自分にとって怖い相手」とは逆に言えば「相手にとっても怖い相手である」だから、自分は相手にとって怖い相手でなければならない。当時のわたしの武器は、捨て身になれることだと思っていた。同様に彼にとって怖い人=強い人というのは、きっと愛する人を守っている「自分そのもの」だったのだ。
自分もいつか愛する人を見つけて、そのIT社長のように誰かに恐れられるような強者にならねばならないな。若い頃は捨て身でいることだけが取り柄(と思い込んでいるだけ)だが、純粋に私は愛する人を守れる人になりたい!と強く思ったのだった。映画ボディーガードみたいな?
そして更に後で知った話なのだが、そのIT社長は2,3ヶ月後に離婚したらしい。そして、会社も辞めてしまった。
えー…なーんだ、大人って嘘ばっかりだなと思ったのだが…今このことを思い返してみると、その社長の気持ち分からないでもない。
本人は別に嘘を言っているつもりもないのだろうし、さらに深く突っ込むと本当のことを言っているつもりもないのでは?と勝手に解釈してしまう。
プレッシャーなのか義務なのか愛のエネルギーなのかわからないけど、まあ動機づけにはなるかもしれないし、変な話だけれども、愛する人がいるからこそ自分や対外的にも嘘をつける。
理由に善いも悪いもない。格闘技の話で言えば、愛は強さの理由にもなるが弱さの理由にもなる。腐っていることに端と気がつく。
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