戯言。太平洋戦争への開戦は日本国民が後押ししたとして、だから何なのか?

徒然草2.0

1日前は終戦記念日であった。

ロシアのウクライナ侵攻を見ていて、少し考えが変わったことがある。

政治的な話だけど忘れないように、あえて書いておきたい。

太平洋戦争の開戦について「日本国民は望んでいた」みたいなことが言われることがある。

民主国家において戦争を引き起こすのは国民で、民主主義は全体主義を作り出すとか言われることもある。

調べてみると、実際にそういう側面はあり、確かに戦争を望んでいたのだと思われる。

もちろん、反対している国民も知識人もいた。

情報が統制されていて、好戦的な考え方が国民の間にも醸成されていたのかもしれない。

しかし、ロシアのウクライナ進行にいたっては、ロシアの国民にとっても寝耳に水だった。

ロシア人の多くが反対して国民が望んでいなかったとしても、起こるものは起こるのが戦争だということ。

だから、平和のためには国民意識が重要かと言うと、さほど、戦争抑止の効果があるわけではないのでは。

戦争が政治手段であり、その政治に興味がある国民が多いかと言われれば、こないだの参議院選挙の投票率は55%に過ぎなかった。大勢の雰囲気さえ支配できれば、国民感情の操作など政府にとって容易なのだ。

とある思想家が戦争は自然災害のようなものだ(だから、諦めるしか無い)というようなことを言っていたが妙に納得感が有る。戦争は、そのような性質があるものだと踏まえた上で、個人として最適な行動をとるしかないんだよなと改めて思う。

別に個人は無力だとか言いたいわけではなく、意識とか投票率とかは統計上の数値にすぎないし、権力者もそういった数値で物事を考えて、自分にとって得であれば戦争に踏み切るだろう。国家権力同士のパワーゲームにのるもよしひくもよし、なのだが。

いずれにせよ個人として最適な考えをして行動をとるには、そういった一歩引いた視点で備えるのがいいのではないか。

…なんてことをふと考えた。

徒然草2.0
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