福沢諭吉の『福翁自伝』に次の一文がある「あるとき私が何か漢書を読む中に、喜怒色に顕さずという一句を読んで、その時にハット思うて大いに自分で安心決定したことがある」
この漢書って何のことだろうか?とインターネットで調べてみると三国志のことで、劉備玄徳のリーダーシップについて書いてある部分らしい。
今更ながらインターネットって超便利なデータベース。読書がはかどる。
福沢諭吉が言う通り…これって「識学」の教えにも言えることであり金言だなあ。
怒って良いことはまったくメリットがないばかりか損しか無い。
怒りは人間の基本要素だと思っていたがその一方、いちいちそれをぶっ放していてはみっともないし、心にさざなみを立てているだけでもストレスを消費する。
湧き出る感情を捨てて身体のリアクションをさせないくらいが丁度いい。
拳銃の反動が少ない方が命中がブレない。
ただ行き過ぎると仏頂面になるようなきがするけど。もうそれでいい気もする。このひとは感情はない人なんだ、くらいが丁度いい。
「ロボット」とか「怖い」とかいう印象を与えないほうが良いかもしれないけれど、感情をざわつかせていることはだいたい無駄。エネルギー効率が悪い発電所施設。
理路整然と緻密な思考が延々と続いているのがシステム的な仏界の涌現たるもの(仏界の涌現って創価学会の用語ですけど創価学会員じゃないです、ただいい言葉だなと思って)。
今回は怒りの感情にのみふれたが、喜びも一々表に出すのはみっともない。
結局のところ、感情にブレる人だという印象を周りに与える。
心にさざなみを吹かせるすべてを拒絶して喜怒色に顕さず。
…そういえば「あらわす」という言葉には色々な感じが与えられる。顕わす、表す、現す、の他に、著す、形すとか色々あるので最適な漢字を選ぶのが面白い。
コメント