戯言。原子爆弾を否定しながら原子爆弾に守られる日本。

徒然草2.0

広島の平和記念公園にある石碑に「過ちは繰り返しません」と掘られた石碑の言葉に主語がないことは、さほど問題ではない。私たちor他人かのいずれかになる。順当に素直に考えればいいのだが。まあこれも諸説あるみたいで、原子爆弾の存在や使用を否定しない解釈もすることもできる。つまりは、こんどこそ負ける戦争をするものか!敵に原子爆弾を投擲してやる!という想いかもしれないということ。この説は、一体誰が言っていたんだっけ?思い出せない。

まあ、それはさておき…そんなことより、原子爆弾を私たちは否定しているが、日米の軍事同盟によって核の傘の下で平和を保っている。そっちのほうが矛盾していて気持ち悪くない。自衛隊といういわゆる軍隊の存在も憲法が否定している。矛盾をなくすために憲法を改正しようという動きがある。もっと他に解消すべき矛盾がたくさんある。矛盾を矛盾のまま放置しても現実問題として問題にならなければそれでいい…でそのまま来たというか、そのまま来たのを良しとしてしまったことが問題なのか、良しとしてしまう国民性でこれはもう抗えないことなのか。変えられないことをあれこれいうのは無粋なのだろうか。無理を通すのは頑迷固陋で愚か者めがすることなのか。私はそうじゃないと思っている。だから私は頭が悪いのだ。評論の神様と呼ばれている人も似たようなことを言っていた。反省しないってさ。

憲法を改正して辻褄を合わせようというのはとんでもない話で、中身のある議論が先のはずだ。ルールを改ざんしてから、それにそって行動しようなんて、バカも休み休みに言え。権力者にいいように権利を掠め取られるだけ。議論の先に理念があると言い切るほど議論を信用しちゃあいないが、あるべき姿に憲法を改正するべきだと言うのが良識ある大人だろう。歪んだ矛盾の根源である憲法を無矛盾にしようという動きは一見すれば悪くない。が、生憎だが私は頭が悪い。

理念と無矛盾と矛盾の3つにどう優先順位をつけるとすると、理念>矛盾>無矛盾かな。まずあるべき姿=理念を前提にする。これがしっかり確立したら必然的に憲法は無矛盾になる。だが、そうもいかないので矛盾のまま状態が変化しない。私の考えがそのまま政治に反映されるはずはないが、こと憲法改正という事象に関しては私の考えの通りになっている。

「日本は外圧によってしか変われない」という話がある。私が生きている間にそれが起きたら最悪だけど、誰かが仕掛けるんじゃないかな。外圧により理念もへったくれもなく無矛盾>理念>矛盾に変わる。まず憲法が無矛盾で無ければならないとされて、それがイコール理念にもなる。矛盾は矛盾のままでいいという実行力も改善力もない意見は切り捨てられる。それで何かいい方向にがらりと変わってあっけらかんとしている日本人がいる。

呆れ。

徒然草2.0
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