結論から言えば、人に必要とされる仕事であれば、どんな分野でもいいのですが…上流から下流まですべての工程を1人でこなせることが大切だと常々思います。起業で言えば0→1ができること(1→10をするスキルでもいいのですが、それだと人に選ばれないとポジションにつけないので、全行程ができるとは言えません)。(追記:すべての働く人にとって、一番困る出来事は失職することであり、組織に所属していようが組織や個人と取引していようが、選ばれない人になる/整理されてしまう人になることが、もっともなリスク要因です)農業で言えば、畑を作って農作物を育てて加工して出荷するところまでできることがまず大切かなと思います。
まあ、全行程でなくとも、そのうち需要がある工程をいくつかピックアップし、AIや他人にとって変われない部分の精度を高めていければいいのですが…ただ、人にはどうしても長期的には避けられない「老い」というものがあって、特定分野のスキルの特化だけでは誰かにとって変えられてしまうと思いますし、またAI(画像認識など)のテクノロジーで今後は行えてしまう仕事を極めていたとなっては…恐ろしいことになります…個別具体的なスキルの向上はリスクが高いと言えるのではないでしょうか…なので、全行程(上流から下流)までこなせることが重要だと思いますし、そうした分野が理想的には2,3あるといいと思っています。
(上にも書いた通り分業を否定するつもりはなく、世間のしごとは分業制で成り立っています。しかし、そこに全工程を自分でできるようにするという視点を持ちながらリスクヘッジを兼ねて全体のバランスを把握するために取り組むべき)労働もまた分散投資の要領で力の配分を考えているのが無難なのです。組織は全体の効率性・合理性が重視されて動いており労働は細分化されていきますし、個人スキルの効率性はまた特化することで生まれるのですが、長い目で見ると個人にとって非効率であっても特化を過ぎないほうがよいのです。
ちなみに…すべての工程をAIがやるようになったら?その場合はすべての人が廃業するし「労働」なんて言葉はなくなるでしょうし、全行程を行う人より優れているということはAIに人間が「支配」されていることになるでしょう…いわゆるシンギュラリティが起こってしまった時はまた別に人類は考えておかないといけません。
【余談】今回はそこまでのことは考えていない…というかAIに支配される=人が抗えないという世界を人が考えてもAIのほうが優れているので、今考えても仕方がないのです。AIにそこまでの知恵を与えないようにする努力とか、AIよりも優れている人間というのを見出すことはできるかもしれませんが…そういうAIより優れているなにかがもし私達にあるのならば、その何かを超えないことにはシンギュラリティではないような気もします。実際のところどうなのでしょうか?最近はその手の知識を入れる暇がないのでズレたことを言っているのかもしれませんが…。
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