コンサバティブの反対がリベラルであるとする(でいいのだろうか?)文脈的に何を指すのかはこの際はどうでもいいので、具体的に何のことを指すのかには触れないけれど、あらゆるリベラルが保守の敵だと見做されることがある。
あれって一体どういう了見なんだろうか?
単純に比較的な見方ではなくて、一方的なものの見方をする無知なやつだと決めつけて掛かるしかないのであるが。
形式的にでも、多様なものの見方を取り入れてくれて語ってくれればいいものを、そういう話芸が無いのかな?一方的な意見って対立する側からすると面倒でしかないというか、いい印象を受けないので。聞いて呆れるというより、逆に不思議な気持ちになる。
この人は一体どういうモノの形の見方ができる人なのであるか?
その人がはっきり見させてくれるわけだけど、とらえどころがないので不思議。
例えば、「外国人参政権を認めるやつは売国奴」みたいな発言。無論そういう面があることは否めないし、一定のルールを設けてしかるべきだが、それも一面でしかない。いろんな議論があってもいいじゃないと思う。そもそも日本人の定義ってなんだろう?とかも問われるわけで、歴史を振り返ると日本人の定義って結構あやしいものだ。
憲法改正の議論に至ってもそうだ。私は憲法改正に基本的に反対だけど、それをコンサバティブととるのか、それとも、リベラルととるのか。守ろうとするのだからコンサバティブな気もする一方で、憲法が権力の暴走の歯止めを効かすモノだとするのなら、国民の自由を最大化するためのものと捉らえられるから憲法を守ることはすなわち自由を守る闘いなのかもしれない。日本共産党は戦後間もない頃は改憲勢力だったのに今は護憲勢力…信用できないですね。
一方的な見方をするやつと決めてかかるしかない。
あれ、話が循環しちゃった気がする。
まあいいや。
いずれにしても、政治にかぎらず思想は多面体である。とにもかくにも私にとって、モノを一方向からしか見ないひとの思想はとても不思議であり、モノを多方向からとりあえず見ている人がいたら(その上で一方向から見ていたのならば)とりあえずは納得できる。
この不思議を追っていくと、なにかいい事がありそうで、とりあえず追いかけている。
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