ジブリのかぐや姫で最後に月にかぐや姫が帰る時…記憶が消されて感情が無くなる…あれは、一種の人間としての「死」であり「涅槃」であり「入滅」でもあるんだと思います(言葉が変でしたらすみませんが)。喜怒哀楽の記憶想起する「感情」にメリットがあるという考え方がありますが、昔からそれはそうなのだろうか?と考えることがあります。感情なんて無いほうが人間は幸せなのではないだろうか…。アンガーマネジメントなどの情報を調べていても、例えば「怒り」は必要なシーンも有ると肯定されることがあるわけですが本当でしょうか?。怒りとか悲しみや恐れの違う出方であれば生物としての自己保存本能としての機能としては必要なのかもしれませんが、対コミュニケーション手法としてそれが絶対に必要かと問われれば「ノー」だと思います。自己保存のための機能に最小限に留めて、対人コミュニケーションにおいて完全に捨て去ったほうが良い…ということわり(仮説)に最近は従うようにしたいと思っています。マインドフルネスの科学的なデータにマインドフルネスを減ると神経症率が減り協調性は向上しなかった…みたいなものがあったと思います。感情もコミュニケーションの一部ではあるため、瞑想はそれを低下させないまでも向上しないことがあると思います(それは違うのだと教えを説く瞑想屋の人が多くいるのは知っていますが、そこはとりあえずふれません)波風が立たたぬ海は退屈かもしれませんが、それはそれでいいのではないでしょうか。自分の眼前に弥勒菩薩のフェイスシールドを想像する被せていくイメージトレーニングをすれば、それがいずれ自分の真の顔になる気がしています。顔を変えれば心が変わると言いたいわけではありません。マスク部分を増やせば自然と自己/真我がマスクそのものになる、まるでマスクに喰われた人みたいな言い方ですが(苦笑)つまりは、そういうことになるのではないかと…。
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