威力があるというより、メンタルが支配されているといったほうが正確でー支配されているのは事実じゃないし本質的じゃないけれども、でもすごい本人にとっては意味があることがある。
私は物事をなんでも戦いに例える癖がある。
ただ、それは結構つかれることだ。
あと、ふとした瞬間に戦いじゃない気もしてくる。
平和が一番、仲良しがいい、お茶を飲んで和みたい。
でも、戦いだと思っていないとやってられないことも多々ある。
平穏を捨てる欲求が生まれる。
資本主義の経済で何とやらーと生きておれば、やっぱり「戦いだ」としか思えないこともある。
事実、敗者が敗れ去り、勝者が生き残ることは否めない。
…ということはやっぱり人生すべてが戦いっていうのは事実な気がしてくる。
ほんとに人生はややこしい。
ただ事実かどうかはあまり関係がないのかもしれない。
結局のところ思想は自分の思い込みがすべてで。
自分が思わなくなったら消えてしまう。
戦いじゃあないと思えなかったら戦えないってことはいっぱいある。
当たり前か?人によっては「戦い」なんて思ったこともないという意見がありそう。
でも戦いだと思っていないと出来ないこともたくさんあるような気がする。
戦いだと思っていればこそ、解決に向かういい面もある。
無駄に血で血を洗いストレスを溜めて消耗戦に息も絶えだえになることもある。
それと似たことだけど、人生は修行だと思うこともある。
修行だと思っていれば、多くの不幸は受け入れられる。
耐えることに意味がある。
修行なればこそ、針でも矢でも降ってこい!と逆に嬉しくなる。
ドMと呼んでくれ!でも痛いのは嫌い。
都合よく修行して、都合よく戦う。
人生バンザイ。
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