若い頃にもう少し勉強しておけばよかったな、という思いが20代にはあった気がするが、今は別にないんだよなあ。
相変わらず記憶障害か?と疑うくらい記憶装置が弱い。検索能力も弱い。
どっかのサイトで、シニアが年老いて後悔していることについて読んでいたのだが、老人になって後悔することなんかないよなあ。
病気になってから、もう少し健康に気をつけておけばよかったな、くらいには思うかもしれないけど来た道だからしょうがないよなあ。
歯がボロボロ抜け始めて間食やめればよかったな、とは思わないよな。
後悔するってことは、なんというかその人は、自分を客観的に見れていないんですかね。
この人たち年老いてなんで自分勝手なんだろう。
後悔するってことは、ようは欲深いってことなんですよね。
無い物ねだりをしている。
愚痴らずに、そん時にしていればいいじゃないですか。
結果的にできなかったのなら、それってその時に自分がした選択ですよ。
その時それが最善だと思っていたってことでは。
あの時、勇気をもって愛の告白しておけばよかったなあ、とかいう出来事があったとして、愛の告白しなかったことを悔いるって、もうなんか聞いてられないなあ。
考えていても行動が伴わなかった自分や能力がなくて出来なかった自分を認めたくない。
「認めたくないものだな、自分自身の若さゆえの過ちというものを」シャア・アズナブル
…じゃあないですか。
私が主体的に生きていないってことになるのかなあ。
つーか、主体的に生きるとは?
私と私以降の世代って、今のシニア世代よりも、欲がないんですよね。
最悪の事態は避けて最善手を選ぼうとすることが、欲というのならば別に欲がないわけじゃあないですが、ぶわっ!と染みて湧き出るようなアドレナリンびっしゃびしゃに出るような感じじゃないつーか、衰退する日本経済を受け入れるしかないし自分の器量でどうにか生きていくより他にない。
ポケットビスケッツのYELLOW YELLOW HAPPY 「もしも生まれ変わってもまた私に生まれたい この体とこの色で生き抜いてきたんだから」なわけで、今の自分とは違う、生まれ持っていないものをもって転生したら、そいつもう自分じゃないよね。
最近の転生系ファンタジーを完全に否定するけど、体が入れ替わっていわゆる「アバター」になったら、そいつはもう自分じゃない。
ジュマンジ/ネクスト・レベルを見たが非常に残念だった。オタクがフェロモンが溢れるセクシーなマッチョになり、インスタ映えに勤しむギャルがヒゲモジャのおっさんになり、精神的に引きこもりがちの根暗女がマーシャルアーツの達人のセクシーギャルになり…黒人のキャラが、どうでもいい動物学者に。ジュマンジで転生系をやって欲しくなかったわ。
というわけでふとなぜか転生系に否定的見解を示したくなったこの頃です。
別の自分になりたいとか、別のスキルを手にれても自分は自分とか、価値観変えたいとか、なんなん?
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