今日はお昼に神社へ行った。うちの人にある事についてアドバイスしたら上から目線で言うなと怒られた。
言い方にも問題があった。
また、アドバイスを求めてない人にアドバイスするのは難しい、というかそもそもアドバイスはしないほうがいい。
とも今回のことに限らず思っている。
あらゆるアドバイスは思い上がりなのかもしれない。
というより実際にそう思っているふしがある。
教育業とかコンサルタントとかマネージャもそうだ営業もだしエンジニアもそうだ、というか知識産業で働いていれば少なからずそうだが、
説明を求められたらしっかり応じなければならない。
サービス精神が旺盛な(こともある?)私は一歩踏み出してプラスアルファを相手に何かでしゃばりたい(結局は自己満足かもしれない汗)。
神社にて、奇しくも神社庁が出している令和6年10月の「生命の言葉」↓
生命の言葉…何でこの言葉を選んだんだろう???
というか、どういうシチュエーションを想定しているんだろう???
沈黙は金なりとか、口は災いの元とかと、同じたぐいの意味として理解していいのだろうか。
いずれにしても、一言多い私にとっては金科玉条にすべき至言かもしれません。
でも、物事をよく分からない人に説明(アウトプット)してみせてこそ、理解していることだと思うのですが。
日頃からそう思ってわからないことをそれとなく分かるように表現する意識が高いと言われれば黙るしかないが、
多少なりともそういう意識があってブログを書いている身としては、結構難しいんですけど。
というか説明したがり屋と説明で人を苛つかせる人は本来は区別すべきもののはずだとは思いますが…まあでも、
説明くさい人って私的には嫌だな。「それ聞いて無いし」と思うことしばしばある。
迂闊にを発するのは辞めたほうがいいシーンではわきまえる精神は古今東西万国共通で大切なことなのでしょう。
無意味な言葉の数々。
「あなたよりも大変な立場の人がいる」
そんなの言葉で言われたところでイメージできないし、目の前にそういう人がいても感じ方は人それぞれだし、そもそも自分は他人ではないし、その人の認識している世界でその人は苦しんでおり、その人が救われたいわけなのに、他人と比較されたところで苦しい中にいる人の意識が変わるなんてことはないので非常に無意味な言葉である。「他人の気持ちになる」というのは当事者が自ら行うことで意味があるかも知れないが、他人にアドバイスされることで気がつけるなら他のシーンでその人は気づいているはず。「あなたよりも頑張っている人がいる」「あなたより不幸な人がいる」「比べたところで解決にならない」などはその類型である。
「人生そんなものだよ」
勝手に同意してくれるな。「諦念」は毒にも薬にもならないアドバイスの1つである。
「心頭滅却すれば火もまた涼し」
仏教好きにアドバイスは求めてはならない。般若心経でも読めばいいとか、悟りを開いたかのような顔で言われたら要注意。更に相手がニコニコしていて「今度、集会にいらしゃい」と言われたら宗教のお誘いに間違いない。彼らは森の中で獲物を見つけた盗人と同じ顔をするが、こちらが弱っていると見過ごしてしまう可能性が高い。
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