戯言。世間づれした感覚を信じる心

徒然草2.0

ブログ記事のタイトルは適当です。

そういや…

人がね、誰かに怒るっていうのは、対等に扱っているからなんだ…みたいなことを誰かが言っていました。

もし軽蔑しているのであれば、そいつを無視すればいい。

道端のくそに怒る人はいません。

くそした犬にも怒りません。

クソさせた人間に人は怒ります。

おせっかいにも怒って、正そうって期待して言うのは、自分と同じ人間だから正せるはずだということなんです。信頼…っていうと言い過ぎかもしれないけど、自分が正しいということを言っているのは、それで屈服させようとか、自己顕示欲とかでは?と思う節がないでもないけど、実際はそうじゃないんだそうです。

これって深い話だと思いませんか。

…思いませんか?あ、そうですか。

まあ、自分も話していて、くそつまんないと思いました。

内容じゃなくてたぶん話するひとが悪いんですね。

Twitterで誰かがシェアしていたけど、大人の出会いを求めるアプリで男女が知り合ったら…おっさんからお金を要求された不思議な会話がありました。さっき検索して探してもでてこないんですが(残念)、その男性いわく自分が呼ばれて行くのだからお金は若い女の方が払って当然だという論調。

おそらくマジで言っているのだということが伝わってくる文面でした。このおっさんのメンタルが最強なのかわかりませんが、大人の出会い市場での自分の価値を無視した強気の値段交渉っぷりが逆に世間知らずであることを通り越して清々しいほどに感じられてくるのです。

世間の通りや同調圧力に負けない押しの強さって、こういう場面でも非情に重要なんじゃないか?と思わせるメッセージのやりとりでした。

自己肯定感最強ってまさにこのことだな。

自分が言っていることは正しいと思い込めれば世の中は安泰なのかもしれません。

逆に世間の顔色ばかり伺っているとどん詰る。

徒然草2.0
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