戯言。三国志の張梁と張遼と張良について。

徒然草2.0

以前どこかで三国志で好きなキャラを話していて「チョウリョウ」と言っている人がいた。

黄巾賊の司令官(というか張角兄弟の末弟である張梁)が好きなんて変わっているな…と思いましたが、そんなわけはありませんでした(汗)チョウリョウと聞いて魏の将軍でもなく劉邦の軍師でもなく黄巾賊が思い浮かぶのは私だけではないでしょうか。知識が偏り過ぎている(汗)。

張遼が好きな人が多いのは三國無双での強キャラとして、魏の将軍として好きな人物だということみたいです。三国志の話においても有名で人気な人物。イメージはそのままに魏の猛将としてとても好きな人が多いキャラではあるようですが…私が現在知るところでは、三国志にチョウリョウという人物が3人います。いずれも漢字は違いますが、張梁と張遼と張良で音は同じで紛らわしい。

まあ、三国志の中で出自が早い方がどうも個人的には私の頭の中には跳梁が残ってしまっています。…というわけで、(個人的に)紛らわしいと思う、この同音の名前の人たちをまとめてみました。

張遼について

はじめ徐州の呂布のもとで働いていたが、呂布が曹操に敗れた後は曹操に投稿して、魏軍の将として仕えた。

魏に降っていた関羽と親交があって関羽を兄弟と呼んでいたという。

個人的には演義の影響で関羽との友情と義理が厚いという人物イメージになってしまっている。

張梁について

黄巾賊のボス張角の末弟で妖術師の重宝に対して司令官的な立場で登場する。

広宗で皇甫嵩に敗れて死去した。

黄巾の乱における死亡フラグが最初から立っている噛ませ犬キャラ。

張良について

劉邦の軍師。三国志の時代ではなく史記に登場する奏と後漢を生きた人。

韓に使えていた名家に育ったが、韓は奏に滅ぼされ落ちぶれた。秦の始皇帝の暗殺を企てたが未遂。その後、劉邦につかえ軍師として優れた成果を出した。

そのため、三国志においては袁紹から曹操のもとに降って仕えた時に、曹操が「子房(しぼう)を得た」と喜んだ。なお子房とは張良の字(あざな)である。黒田如水も徳川秀忠を「この世の張良なるべし」と評した。日本でも能や幸若舞曲の題材になった。

あとがき

意外に張良が有名な人であることを知りませんでした。

項羽と劉邦について知らないので、これを学べば戦国時代→奏→漢→三国志→晋までの歴史がカバーできていいかもと思った。

徒然草2.0
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