乗ったら飲むな。酒は飲んでも飲まれるな。こんにちは。
ここ最近とても怒っていることがあります。仕事で怒るってあんまりないと思いますというか、過去にあったと思いますが、あんまり憶えていません(あ、いや嘘です。怒っているうちに具体的になる感じです。ささっと思い出せないだけ)。
ただ時々思い出していくと考えていると怒りがこみ上げてくる。
怒りが収まらない。
ずーっと持続し続けるわけじゃないが、短期的な発作が出る感じで、ある意味とても長期的なもの。立場上言い返せないもの。経験不足がゆえに黙っているしかないもの。色々とあるわけで。まあいいさ、で流すべきものかもしれない。それが優秀な大人なのかもしれない。怒りは百害あって一理なし…かもしれない。
いずれにせよ、私は世間様と同様に怒るということは、あまりよくないことだと思っている。
また人から人へ怒りの感情は伝搬するので、基本的にダメなものだと思っている。
でも自分が”なんちゃって”格闘技をやっていた時は、怒りなるもので自分を奮い立たせていた気がします。嫌いな先生の顔を部屋に貼り付けていました。なんかの漫画の影響だと思う。なんだろう。昭和の漫画のキャラって敵(かたき)の写真を持っていましたよね。恋人の写真も同じように持って眺めて。
怒りについて。プロレスラーが演技でやっているのと同様、ああいう敵対する相手に「こんにゃろー!」と怒りをあらわにする姿は、ありだと思っている。
ありだからこそ、というか誰しも…ではないかもしれないけれど、多くの人が自然に持っている「怒り」の自然な姿なのだと思う。
特に現代においては、アンガーマネージメントなんて言葉もあるように、大の大人であれば「怒り」をうまい具合に引っ込めることが是であり、出したら負けというか良いことがない。
感情に任せた行いは周囲に多大なる損害を…特にそれを振る舞う人の信用は地に塗れて取り戻しがつかないことになることは、冷静に考えればわかっている。
しかし時間が経てば収まるものを、その場限りにするようにしてしまうのはいけない気もする。
しかしながら、そうせざるをえない場面があった時、そうして罵声を上げたり暴力的衝動に身を任せて鬱憤を晴らせば後でまず間違いなく後悔するだろう…しかし、その時に、それをそのまま放置してしまうというのは、正しいのでしょうか?とも堂々巡りなことを思う訳。もうこの時点で怒りが収まっていないでループして行き場を失っているわけで、不健全でしょう?無限ループしていたら、ぷすりと針を差してドバーッと膿を出しちゃうしかないでしょう。
倫理的にはともかく法的に罵声を上げたり暴力を振るうことは、正しくないことに間違いありません。いや、倫理的にも通常は正しいでしょう。そもそも正しい正しくないの議論じゃないとか言ってくる人もいるかもしれませんが(なんか、わたしよく言われるんで)、私は正しさという言葉を使いますが。いずれにしよ怒りに任せた暴力沙汰になれば正しくないと言う人が大半でしょう。
ことビジネスで言えば、暴力は反社会的なもので言語道断だ。出るとこ出て決着をつければ良いこと。でも、反社会組織の定義は暴力を振るう団体または個人のことだと思っていたが、「定義が難しい」などと閣議決定されていたっけ。そんなこと内閣府の面々が集まって決めることなんだっけ。くだらないことを言ってお茶を濁す。
そーして、疲れて眠る。
…あえて1つだけ言っておくと、自分は心のそこから後悔したことということがないようだ。
もう1つだけ言っておくと、後悔していないということは、その時であってもその後であっても、私からすれば「正しいこと」なのである。
「短気は損気」などと分かったような奴がいたら、私は私の「正しさ」をもってして、ワンパンマンになるに違いない。…ということをことわっておく。
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