戯言。ゾンビは限りある私達の資源のはずだった…

徒然草2.0

おじいちゃんが子どもだった頃、ゾンビなんていなかったらしい。

朝ご飯にゾンビを砕いたフードを口に頬張り、学生カバンを背負い込むと外へ出た。

鉄格子越しにぼくを見て涎を垂らし雄叫びを上げるカマラに向けて、シーッと息を吐いて人差し指をあげた。

(静かにしてくれないと、また隣からクレームがくる)うんざりだよ。

生きているゾンビをペットとして飼うのは楽しいところもあるが、なかなか気を使う。噛まれたら一環の終わりだし。

実際のところ、カマラは頭がよくない。まだ飼い主の顔を憶えずぼくのことを獲物だと思っている。

もっと飼いやすい人口培養されたペット用のゾンビをブリーダから取り寄せればよかったのに。

おやじは野生種を飼いならすことに意義があると考えているらしい。

ぼくの教育にもいいと思っており、その価値観を押し付けてくる。

バイクにまたがり鉄格子で囲われた国道を進むとプスンとエンジンから嫌な音がした。

古いゾンビのオイルを実験的にいれたせいだ。このせいで最近は調子が悪い。

…100年くらい前、なぞの感染症がパンデミック(世界的大流行)して、人類の99%以上がゾンビになった。

すべてのゾンビを始末すればゾンビがいない世界にできるが、生き残った人類はそれをしなかった。

ゾンビは食料、燃料、その他いろいろな用途で使えることが研究で分かった。生き残った人類はそれを資源と見做すようになった。

資源は40年で枯渇すると言われたが、土壌から古代の人類や動物のから生まれつづけている場所があることが分かった。

資源の専門家は田圃(たんぼ)と読んでいて、地球には掘り起こせば田圃になり得る場所がまだいくつもある。

実際には新しい田圃が次々に掘り起こされるので、少なくとも1000年以上は尽きないらしい。

はるか昔、石炭や石油という動植物からできた分質を土壌から掘り起こしていたらしいが、やがて原子力や風力や太陽光を利用することになるが、新しい資源のほうが2,3体いれば人家族の食料と燃料を1ヶ月は生産できる。取り扱いを間違えなければそれほど危険でもない。大量生産の時代から自給自足の時代になり、旧来の資源はすべて新しい資源に置き換わっていったと学校でも習ったし、まあ実際に新しい資源の専門家であるおやじに何度も詳しく聞かされた。
ゾンビには一定の思考力があり訓練すれば人間の言う事を少しは覚えるチンパンジーには及ばないが犬くらいの知能はある。ただし社会性はなくまた人間を食べたいという欲求を別の行動への動機に置き換えなければならない。もちろん、人間だった頃の記憶などはゾンビになった時点で脳細胞は失われ微塵も残っていない。しかし、世の中にはその物理的な事実を受け入れない人も少なくない。
例えば、カトリックの人はヒトの形をしたゾンビは食べないし、イスラムの人はヒトはおろか動物のゾンビも汚れているとして食べない。ゾンビを食べた人間の魂は永久に救われないとして、ゾンビを食べている人間を非難している。世界人口の1割か2割り程度がそういう人たちだ。逆に新宗教の連中は古代人の智慧が授かる手段と考えており、生前有名だったゾンビのパウダーは高値で取引されることもある。

「おはようアラン」

ステーションでバイクにオイルをいれていると、あとから来た同級生のエドガーに声をかけらて、おはようと返した。

「こんなところで急に何なんだけど、君の家で飼われているカマラって野生種なんだってね?」

そうだよ。だったとしたら、何だっていうんだ?

「怖い顔で睨むなよ。人口培養でじゃないなら、かつて生きた人間だったってことだろ?1度みせてくれないか、ちょっと興味があるんだ」

別にいいけど。ぼくがうなづくと、エドガーは不安な表情ながらも、微かにニコと笑った。

何十年か前なら野生のゾンビが知り合いの可能性もあったろう。でも最近の野生のゾンビは外見がボロボロで土塊の人形に近いから、さほど見る価値もない。

…だから、それが彼の知り合いの可能性は気にしなくてもいいはずだったのだが…。

※映画『ゾンビマックス・怒りのデス・ロード』と萩尾望都『ポーの一族』とSFC『真・女神転生』と藤子不二雄FのSFを混ぜてみたら面白いのでは?とふと思って書いてみた。知能があるゾンビというのは『死靈のはらわた』だな。

徒然草2.0
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