私たちは文明の利器を生かして仕事をしている。
まあ、しかしながら、その「便利なもの」を目の当たりにして私たち(特にITエンジニア)と呼ばれる人は、第三者から見ておかしな態度をとったりする。
例えば、身近で分かりやすい例を上げるとすると、なんらかのWebページを公開したいと思ったとしよう。HTML/CSSを使ってゼロからWebページを公開することは、1ヶ月くらいあれば誰でもできる。
しかし、記事テキストや写真を掲載するブログならば、WordPressなどのCMSをレンタルサーバでインストールすれば1日かからず誰でもできてしまう。
「1日でWebページが開設できた」ということは、いまどき当たり前で大層なことではない…が、Webアプリケーションを作れる人は不思議なことに不思議な態度をとるひとがいる。
「1日でWebページが開設できた」ことを自分の力かのように誇示する。
もちろん、レンタルサーバで借りてくるにしても、ドメイン登録したりSSL登録をしたり、今後の保守運用や有料テーマの変更やカスタマイズまで含めると、WordPressって実は結構大変だ。
それを短時間のうちに適切にやってのけたら、WordPressのスペシャリストかもしれない。
日頃からやっていれば訳ないが、適切な選択をするのに経験がものを言う。
知識があることと単位時間あたりにできるということは違うくらいの話だろう。
これは例えるなら、一般的に知られている知識というものを持っていることの価値が下がっていることと似ているのかもしれない。
教科書に書いてあるようなことを言える力はあまり価値がない。wikipediaに載っているからである。wikipediaに載っていることを活かして何かサービスできる人はまだまだ商売になる。
AIが進化した先には無価値になるかもしれないが、サービスとして対価が得られることはただの経験にすぎない。経験は陳腐化する。時代とともに無価値になるし、そのうち供給が飽和する。
まあ、ちょっと話が逸れたが、「経験が一時の価値になる」「知識は持っているだけでは無価値である」ってだけで、そこに偉いとか偉くないとかないなと思う。と言いたい。
この世に機会は均等に与えられていないかもしれない。
世間ははじめから不平等だ。(こんな言葉が出てくるのは、正直言えば「平等だと思いたかった」自分がいるっていうこと)
しかしながら、経験/技術/スキルと言われるものは陳腐化するので、誰よりも先んじて得ていけばいいし、ベースとなる知識が大きく変わっているかと言われればそーでもない。
(もし変わっていたら、年寄はついていけないよ。まあ、自分ももうついていけてないところもあるけど)古い技術は新しい人達は基本的に捨てていくので、またそこに供給不足が生まれて需要が一定あったりもする。
そんな状態なので、ある需要に合わせて供給量を合わせればまだなんとかやっていけないこともない。そういうふうに肩の力が抜いていたい。
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