戯言。政治のカルト的チャラさとか。

徒然草2.0

幻想が幻想のまま保たれるなら、それはその人の人柄や人格の真実であり続けるのだが、だいたいそう長続きしないというか、期待しても損というか…。

人間嫌いというか疲れる

そういうの繰り返していると人間に関わるのそのものが面倒くさくなりませんか。でも人に関わるの面倒って人に関わりたくないのでどうかと思う。人は人と関わって生きているので、人と関わることを面倒だと言ってはいけないし、じゃあ選別するか?っていうのもなんだか最初からそのオーラがでている人には私も近づかないけど、とにもかくにも関わっている以上はすべてが面倒だというのもよろしくない。なんて言えばいいんだろうか?と考えて考えついたわけではないけど、Xでうまいことというか的確なことを言っていた人がいた。その人は「人が嫌いなわけではなく、ただ人前で疲れてしまう」だけなんだそうだ。まあ、人が嫌いと表だっていうよりもマシな程度だけど、これなら角が立ちにくいかもしれない。嫌いというのはある意味でその人の責任だけど疲れちゃうのは誰もが疲れるし責任の範疇ではない気がする。人と関わるとわたし疲れちゃうのでお先に失礼しますね。うーん、言えないね。

政治に関わると利用される

千代田区長選挙で、さとうさおりという人が、ネットマーケティングを中心にした取り組みで2位になったそうだ。ぽっと出でも減税だ何だといいことを言えば、政治家になれる手法が確立されつつある。ある程度うれてるYoutuberは政治家になればYoutube広告が儲からなくても議員収入で年収1000万円の安定収入が得られていいな。戸田市議会にジョーカー議員こと河合ゆうすけというひとが当選した…別に詳しく知らないが是非もなし新しいポピュリズムが台頭している。いいかわるいかは別にして、それとなく目立てば政治を動かす立場になれる時代になったみたい。政治家になる方からしたら面白い時代なのかもしれない。ただ、Xでもれいわ新選組とかが批判されているが、ダンスを踊ったり心地よいフレーズを連呼したり、その様子をカルトだという人もいる。いずれにしてもチャラい。が、ある種の一体感みたいなものを演出されると、そこに釣られたくなる人もいるのだろう。逆に日本共産党の赤旗は廃刊が噂されている。新聞メディアはオワコンなのであながち噂でもないのかもしれないが、老人はお亡くなり若い層の取り込みに失敗して行き着くオールドリベラル政党の行き着く先(墓場)が見えてきた。…まあそれはさておき、盆踊り選挙活動それらがすべて悪いわけではないかもしれないが思考無き行為とその責任は誰がとるのだろう?まあ、誰もとらないのだが、手法としてカルトというかある種の宗教と同じというのは、いかがなものなのだろう。民主政治において数は力だが、有権者が思考して数に成るのと(思考がないわけではないかもしれないが)心地よさに惹かれて数にされちゃうのは、区別したほうがいいのではないだろうか。非理性的なものについて、私はわりと肯定的なつもりだし(だからこそ踊りの中に思考=理性があるという捉え方をしている)、で結論からするとどうでもいいけど、舞い踊っている人はその人自身どう自分を見ているのだろう?という当事者意識のほうが気になる。

当事者として政治運動が生きがいになると、動かす方と動かされる方がいて後者の人は不幸な気がする。「本人が楽しければいい」とか「人それぞれ好きの違いがあっていい」とか多様性って言葉で説明付けられますけど、それが誰かの操り人形になっていたとしても同じことを言えますか。操り人形だけど本人が楽しければいいとか、操り人形だけどその人が好きでやっているならそれでいいとか、いや…よくないでしょう。

当事者の問題だから、と切り捨てるのもちょっと違うのではないか。

徒然草2.0
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