戯言。ひのみこ。あずみ。こじき。

徒然草2.0

日本神話と日本の歴史についての覚書です。

ひのみこ

邪馬台国にいた卑弥呼(ひみこ)という言葉が出てくるのは、三国志で天下をとった魏国(ぎこく)の正史の一部である魏志倭人伝(ぎしわじんでん)に出てくるからで、日本古来の文書にそういった記述があったわけではない。古事記にも日本書紀にもヒミコは登場しない。

当時の日本は魏国の人から見れば、未開人に見えたようで(来ている服も原始的だし、朝貢も奴隷(奴婢)を差し出すしかない=特産品がない。だから、卑しいという言葉が付けられたそうだ。

本当は日の出る国の巫女ということで漢字にするなら日巫女、読むならヒノミコというのが正しいのではないか、と主張するひとがいた。邪馬台国の文字も邪(よこしま)という字が使われているが、大和大国だろう。日の出ずる国すなわち大陸から見て東にある、大和の大国と言われればすっと現代に生きる日本人にもうなづける。

…それ聞いて「あーそうかもな」と私も思っただけのことだが。

なぜ、日本人は侮蔑の言葉を未だにありがたがって使っているんだろう?

歴史家はそのへんの変更には、あまりこだわらないのだろうか。

それとも大和国の日巫女という記述にすることに何か問題があるのだろうか??

あずみ

日本の古代にはあずみ(安曇)という一族がいたそうだ。海に住む一族。

上戸彩主演の映画『AZUMI』とはまったく関係がないらしい。これは江戸時代初期の話。

映画も見て漫画も読んだはずだが、ぜーんぜん内容を憶えていない。

こじき

古事記を現代語で読んでいるが味気ない。なんだか偽物なきがする。古事記ラノベなどは申し訳ないが、無用なところが誇張されてておもしろくない。

作家が悪いわけではなく単純にラノベに向かない脳なのだろう。別にラノベが楽しいという人の意見はそれはそれで結構なので何でもラノベで読めばいいと思う、でもそれならラノベで面白い作品を読んだほうがいいでしょう。ラノベ脳になったら親しみやすい人向けで普段からラノベ読まな人が読んでも上手くいかないってだけの話だってことに気がついた。歴史は漫画などのライトウェイトなメディアでつくられたコンテンツから入るべしみたいなことを前に言った気がするが、漫画作品化も漫画が好きな人の情報を読み取る手段に過ぎないのだろう、ということにも気がついた。漫画嫌いな人に漫画をすすめてもしょうがないや。そうなると私はわりと漫画脳らしい。ラノベ脳でもなく小説脳でもなくアニメ脳でもなく漫画脳‥なんかヤダ。

話がそれたが、古文はそれとは別で硬派に書き下し文を読むほうが古代人の思考に近づけるほうが味わい深いものがある。書き下し文も漢文を読むための工夫に過ぎないと言えばそれまでだけど、少なくとも日本人はそうして古事記を読んできたという歴史性の部分に着眼したい。

…こういう話をすると知性が高いふりをしていると言われるがそんなことはなく、自分が好むものを食べればいいのだと、自由が一番を地に行くだけ。

例えば古事記の冒頭で太安万侶(おおのやすまろ)が語り、天地のはじまりに、たかまがはらで、あまのみなかぬし、次にたかむすび、次にかむむすび(かみむすび)の独りの神が生まれましたのところに、わざわざ現代語訳で「性別のない独りの神」って書いてある。

私達人間には性別があるから、性別がない=独りの神と安麻呂さんがわかりやすくそう言ったのだと思うのだが、これは「余計な解釈」。性別がないからあとから登場してくる神とは親と子の関係性がないことがわかればいいだけなのに、性別がある人間に伝えようとして安麻呂が「独り」と現代人が「性別のない」という表現を加えている。

性別を持つ人間に「無性別な存在者」を表現する言葉がないので、性欲が強い人は性行為を前提にして神話を読むことになる。旧約聖書の神は人と姿形が似ていただけで、無生殖だという記述はないと思う。そのかわり人を創造できる能力があった。

徒然草2.0
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