お客さんも本当のビジネス上の価値を知っているわけではない。
私たちは、仕事をだれかのためにしているわけだが、それでうまくいかないと自分に腹が立つ。時に他人にも腹が立つ。ややもすれば、自分なんか必要がないのかもしれないと思ったりする。お客さんから「不要」という態度をとられると心が凍りつく。お客さんが感じている価値を提供できないということは、ビジネスにならないということを意味するからだ。
私は…私たちは…お客さんのビジネスにおける価値を提供できなかったのだ。ということは誰しもありえることだろう。
しかしながら、1つだけ救いもある。
…果たして、お客さんはビジネスにおける価値を正しく知っているのだろうか? 市場にてらしても自分が提供している商品(サービス)は悪くはずだ。と確信があって、できることをしている。となれば、お客さんが正しい価値を評価できているとも限らないのである。もっと言ってしまえば、自分もまだ正しく理解できていないのかもしれない。
自責も他責もないな、と思うこともしばしばある。
言ってみればお互いに未知の領域。
神秘。
本当の価値有るものを自分が求めていれば、自分やお客さんのささいな齟齬は些細な問題ではなくなるのではないか。自分はまだここにはない価値(神秘)を求めて最善を尽くせば良い、となればブレないで済むのではないか。
自分はおろかお客さんすら分からないことを提供できるように、最善の努力をすると決めていればいいわけだ。
神秘に向かって勧めば良い。
なんだかスピリチュアルな響きだし、ちょっと都合がいい気がするが、どうしても解決困難な問題をそう捉えると精神衛生上にもいい気がします。
自分が及ばぬギャップをひたすら埋めて、未知の領域は神秘と割り切れば、おのずと今すべきことは見えてくるし決まってくる気がするんですよね。
うまくいかないことは神秘(お互いに分からないこと)だと思ってあきらめると、腹も立たなくなる気がする。
ある意味、悟りの境地。
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