考えてみ―れば、よく分かるなあ。国会議員にそもそもなれないというか、ならない時点で、一体どういう考えでやったろうーか?って思うのかも見当も付かない。自分を投影して他人を見透かす自分がもっともよく分からないのは国会議員かもしれない。国会に限らず地方議員でも同じ。なんであんな仕事に着くんだろうな。理解できないけど身近にいる目立つ人=議員は興味深い。
彼らが客寄せパンダのポピュリズム政治をやるというのならば、準芸能人みたいな人を看板にするだけでいいと立てる側としては分かる。客観的な立場としてよく分かるというか。ようは、人気投票させて国会議員になるという、ただそれだけの目的のためにいる人だと理解ができる。パンダの存在を了解できる。わかりやすい。彼らにはとりあえず高価な笹を上げておけばいいんだ。国会議員が国会議員としてお金を得ているだけで、政党内で価値があるとみなされるんだ。無論そこには国民のために働く意識なんていうのは皆無であっていい。パンダは見世物として価値があればそれで良い。わかりやすい。もちろん人間の意識は単純なものではないし、目的が1つのみしかないという訳でもない。自分の人気を利用して、国民のために働くという強かな人がいていいわけだし、そういう人こそ国会議員に向いているのかもしれない。
しかし、まあ私自身の立場で言えば、自分が面倒くさいことはやりたくないし、失敗したくないから自己保身に走るのだろう。いやはや、国民のためになにかやるという強い意識が内在する国会議員になんてなれないだろう、って浅ましい思いに取り憑かれる小物なんだという意識があると、他人もそうだろうと決めつけたがる悪い癖かもしれない。
でも、真面目に客観的に紐をといていくと、実はみんな俺と変わらねーじゃん(苦笑)って思うことが最近多いなって思うことがあります。
世間の人のレベルが全部俺って、いやそんなわけないけど、そういう錯覚をおぼえるっていうのって、ちょっとどうなんだ?と思いつつも、そう思っている自分がいる。
なんだか、やばいなあ。
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