(あえて強く言っておきますが「作り話」ってことにしておきますよ)
むかし、むかし、ある男性が、ある女性に「好き」ですと愛の告白をしたところ…
「好きでも嫌いでもない」と言われたそうです。
それは興味がないことか?と男性のほうが聞いたら「”興味がない”とも違う」と女性は言いました。
だからと言って「友情以上かつ恋人未満」でもないそうです。
たぶん、女性の方は、そんなちんけな定義を考えたこともないのです。
まあ、人間関係なんて言ってみればそんなものかもしれません。
友情とか愛情とかわざわざ定義する意味もないし、わざわざ定義をして確かめ合うなんていうのは、どっちかの負担にしかならない気もします。なんとなくその場に居合わせただけ…友情も男女の関係も言ってみればそんなことなのかもしれません。定義を一方が求めている時点でその人間関係はどこかナンセンスとまで言ってしまうと、世の中の多くの人間関係がナンセンスになってしまうので言わないほうがいいかもしれないけど(苦笑)、どこか言語で定義づけてしまうと堅苦しいし不自然な気がします。
…まあ、たぶん、この女性に言わせれば「今の関係性の維持」はしてもいい、もしくはしたい「継続ができる」がそれ以上は望まないということなのです。恋愛を前進させることばかりが男女の関係ではないのかもしれません。うん、その理屈は嫌いじゃないです。好きと言われるかと言われると自信がない。だからと言って、興味がないわけじゃない。なんだろう?「その関係を継続することが望ましい」くらいの話でしょうか。
しかし、よくよく考えれば人間関係に限らず物事の好き嫌いっていうのは、そんなものじゃないでしょうか?ていうふうにもよく思います。
だから、プログラミング学習の話に例えると…プログラミングが好きか嫌いか、なんてどうでもいい。
重要なのはその学習に意義があると考えていて、それを継続可能であると思えるかどうか。
「好きとか嫌い」とかいう言葉って、それ自体が多義的ですし、別に使用することを否定するつもりはありませんし私も使いますが、どこか幼稚な響きがあります。はっきりとしません。ただ、嫌いなことに対して好んで関係性の継続を維持することはあまりしないので(嫌いだけど理由があって関係性を維持する人もいますが)、関係可能とニアリーイコールになるんではないのかななどと思ったります。
ただし、確かなことは言えません。
そんなに物事の好き嫌いっていうのは単純じゃあないんだよ、と改めて思った次第です。
恋愛至上主義者には蛋白すぎた話できっと伝わらないでしょう(ていうか、それはおまえの感想だよね(苦笑)って揶揄ってきそう。よく言われるw)
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