哲学漫談0.90カントとルソーのエミール

徒然草2.0

哲学漫談0.90

その昔、哲学に関する本を読み漁っていた事があるので哲学的なキワードが出てくるとどうしても反応してしまいます…ところが私にあまり記憶力が足りないのか頭のシーク速度が遅いのか深堀りできない構造に神経回路がなっているのか、あまりそういったものを語れるほどに弁が立ちません。それは口惜しい…というわけでその断片をつなぎ合わせる作業を日々しようかと思いました。それがこのシリーズです。

哲学漫談0.90というのは…けして完成しない(バージョン1にならない)という意味です。0.91,0.910,0.911て感じに増えていきますが漸近的に増加しても1という真理に完成に絶対的なものになりえないという意味を含みます。はい、どうでもいい話を語ってしまいすみません。

カントが影響を受けたルソー

そういえば、今度、教育関係者の人とオンライン飲み会をするのですが…彼はカントが好きだと言います。

…で、道徳のなんとかかんとかという本が好きだそうです(調べると出てきました…おそらく『道徳形而上学原論』という本ですね)そして、カントの道徳律と言えば「定言命法で語られるやつですよねー」という話をしたところ、あまりピンと来なかった様子でびっくりしました。

…仮言命法は、条件付き言説で定言命法は条件無し言説だからつまりは「条件をもとに道徳的な行為をしてはいけないという議論だったかと。道徳的行為が目的を達成するための手段ではなく目的そのものにならないといけないわけ」みたいなことを言ったわけですが、それが正しい説明だったのか…わかりやすい説明なのかも分からない。それが魅力的に聞こえるのかもわからない。そういうわけでもう少しカントという人を知っていかなければいけないと思いました。彼は石川なんとかさんという人の本が好きだそうです。私はカント学者と言ったら捻くれた性格の中島義道しか思いつかなかったのですが、彼は中島義道という人の名前を知らなかったので…あ、自分がマイノリティな人を挙げてしまったのかな?と思いました。

カントは理性の限界証明をした人・それまで哲学の学問的な価値を地に落としていたのを現状まで回復させた人という意味で捉えているのですが…教育関係者の彼からするとそういうことはさておき教育なんたるか?を壁打ちする師匠的な存在であって、そういう理屈的な部分に興味がないのはいたしかたないのかもしれません。

カントも教師として子どもたちに勤勉・正直・潔癖・独立の大切さを説いていたそうで、そういう素晴らしいところを、彼が教育関係者として見習いたいと思った心を、私が折ることはなってはならないなーっと思いました(折るなんてことには、結果としてどうやってもならないでしょうけど)。ただ、カントと言ったら三批判書の『純粋理性批判』『実践理性批判』『判断力批判』ですね、なんて言うのは極めて野暮だということ(でも、この3つをしっかり理解していないとカントを分かっていないのでは…などと思いこんでいるフシが私にはありますが)

そんなカントですが、ルソーの『エミール』にはものすごい影響を受けたといいます。エミールの本を読むことによって心の琴線ふれたのか下賤の民を卑しく思うのを辞めるようになったそうですが…ルソーは美しく賢い人のようですが孤児同然の変態でも有名。wikiを見るとよくわからないのがヴァランス夫人との関係。最後には愛人関係になるそうですが、2回ほどつかづ離れて愛人になるも婦人に新しい恋人ができて出奔しています。壮絶人生を歩んでいますが、その間とても頭が良かったのか知識を生かし知識人として活躍していくことになる。

人間は本来善良であるが、堕落を正当化する社会制度によって邪悪となっている」(ルソー 『学問芸術論』 (1968) pp.14-15)学問・芸術の発達が素朴さに表されるような美徳を喪失させて、衒学的な知識と享楽的な文化を用いて人々に専制君主のもとでの奴隷状態を好ませている。「学問、芸術の光が地平線の上にのぼるにつれて、美徳が逃れ去るのがみられる」(ルソー 『学問芸術論』 (1968) p.24)化を健全化させるには人間自身に内在している「自然の導きに従えば良い」と見解を示し、人間の良識に学問や哲学、芸術を基礎付けるべきだ(ルソー 『学問芸術論』 (1968) pp.29-30)(wikipedia

この学問芸術論が高く評価されたことをきっかけにして、さまざまな創作活動を意欲的にこなすようになる。この時、ルソー38歳。これ以降に生まれるルソーの著作はこの学問芸術論を描いた直感がベースになっているというように見受けられます。(哲学漫談0.91に続く)

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