※これはミステリー短編でありフィクションです※
A子が最初にそう言ったとき、僕は冗談だと思った。
「私のためなら何でもできる?」
喫茶店のテーブルの向こうで、A子は静かに笑った。
昔から変わらない、少し不気味な笑い方だった。
「人を殺してほしいの」
僕は何も言えなかった。
彼女は封筒をテーブルの上に置いた。
「ただとは言わない。あなたの人生を変える額のお金を用意しているわ。五千万円」
僕は封筒を開けた。
まずは手付金、というわけか。
中には百万円入っている。
……その瞬間、僕は理解した。
この女は、やはり本気なのだ。
そして同時に、自分が断れない立場であることも見透かされていた。
A子とは高校の同級生だ。半年前の同窓会で再会した。
彼女は昔、女優を目指していたが夢は諦めたらしい。
今は普通の会社員だという。
背が高く整った顔立ちだが、どこか癖のある性格だった。
僕は金融関係の会社を辞めて独立していた。
最初は順調だったが、コロナで仕事が無くなった。
助成金でなんとか持ちこたえていたが、資金繰りはもう限界だった。
正直に言えば、最初はA子に金を借りるつもりでこれまで会っていた。
……もしかしたら、この先もA子と一緒にいられるかもしれない。
そんな期待が無かったと言えばもちろん嘘になる。
だが、先に口を開いたのは彼女だった。
「私の親友B子を殺してほしい」
喫茶店に入る前、A子は僕を駅のコインロッカーの前に連れて行った。
黒いスポーツバッグを僕に持たせた。
重かった。
……その時は、他人の命よりもずっと重く感じた。
ロッカーを開け、バッグを入れる。
ファスナーの隙間から札束が見えた。
「全部で五千万」
A子はそう言った。
確かめられなかったが、A子の雰囲気からして本物に違いないと思った。
「仕事が終わったら、これ全部あなたのものよ」
ロッカーを閉め、鍵を抜く。
「この鍵はB子に預ける」
僕は喫茶店の奥の席に移動した。
A子の姿が少し離れたところから見える。
しばらくして、B子が入ってきた。
明るく屈託のない笑顔で、A子を見つけると手を振り、向かいの席に座る。
「久しぶり。A子、なんか綺麗になったね」
A子は肩をすくめて笑った。
「そう?」
「うん。雰囲気変わった。この前C男ともそんな話してたんだよ」
B子は楽しそうに言った。
「A子が海外へ行く前に、みんなで会えたらよかったのに」
A子は小さく笑って答えた。
「そうだね」
二人は少しだけ昔話をして、B子は店を出ていった。
A子は窓の外をぼんやり見送ってから、静かに席を立った。
その夜、僕はB子のマンションへ向かった。
A子は「宅配で夜七時に贈り物が届く」と伝えてあるらしい。
僕は作業服を着て、大きな箱を抱えていた。
宅配業者に見える格好だった。
ドアを開けたB子は、少し驚いた顔をした。
「重いので中まで運びます」
そう言うと、彼女は僕を部屋へ入れた。
玄関のドアが閉まった瞬間、
僕は登山用の小さな斧を取り出した。
その後のことは、あまり覚えていない。
ただ、部屋の中を探した。
ロッカーの鍵だ。
バッグ。
財布。
化粧台。
引き出し。
1LDKの部屋内を徹底的に探した。
だが鍵は見つからなかった。
二時間以上探したが見つからない。
結局、僕は何も見つけられないまま部屋を出た。
A子に連絡したが返事はなかった。
それから半年後。
東南アジアのとあるホテルで働く同級生から連絡があった。
「お前さあ、A子って覚えている?」
リゾートホテルで見かけたらしい。
A子はある日本人の男と一緒にいたという。
そいつは名前は知らないが、A子の恋人のように見えたらしい。
⋯たぶん、C男だ。と思った。
B子にC男をとられて、密かに殺意をもっていた⋯とA子から聞いていた。
だが、そのC男はホテルの部屋で一人でいた時に、現地の男に刺されて死んだという。
「その犯人の男を俺が目撃して通報した」
そして、犯人はその場で取り押さえられたらしい。
警察がそいつのポケットを調べたら、現金が百万円が出てきたそうだ。
「あ!」と電話口で声が出そうになった。
僕が受け取った額と同じ金額だ⋯⋯すべてが繋がっていく。
B子が死んだ後ニュースで知ったのだが、B子は既婚者だった。
そして、B子の実家はとても裕福であるらしく、金に困らない家だった。
B子の夫であるC男は、定職のない男だった。
⋯あの五千万円は、きっとB子の金だったに違いないと思った。
C男はB子から何らかの方法で鍵を奪い、ロッカーから金を回収する。
既婚者でB子が鍵を持っていることを知っていれば訳のない話だ。
⋯もはや、真相はわからないが⋯。
A子にとって、B子も、C男も、僕の存在は軽い。
ただ、お金が手に入ればよかったのではないか、と結果的には思う。
B子も、C男も、C男を殺した男も、もうこの世にはいないのだから。
……そう思えば、僕はまだましなほうだ。
僕はまだ生きている。警察にも捕まっていない。
だからだろうか。
五千万円はおろか結局、百万円しか手に入らなかった。
でも今となっては、金のことはあまり気にしていない。
もし連絡が来たら、僕はきっとA子に会いに行くだろう。

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