戯言。ヴォルフ一派VSカント哲学(純粋理性批判)

徒然草2.0

教科書の解説を読むとカントは、ヒュームの影響をうけて純粋理性批判を書いたというようなことが書いてある。

ヒュームはデカルトやバークリーと比べれば、ゆるふわの懐疑論者で、自我は「知覚の束」に過ぎないよ、と言った。

ここからは独断で知識がないままに私の考えを述べるが…知覚の束とは、個々の経験や、個々の理論と、言い換えてもいいと思う。

例えば「掃除機にヒューズをつけて電気を流したらヒューズが飛んだ」とする。掃除機にヒューズをつけたこと、電気をながしたこと、ヒューズが飛んだこと、それぞれ主観的な出来事で客観的な出来事とは言い切れない。それぞれの私達の感覚的なできごと、それぞれに関連した意味はなく、その意味が重なり合って自分自身や自然の現象を説明ができるだけだ、というような考え方をした。

掃除機にヒューズをつなげた「ので」電気を流した「ので」電気を流した「ので」ヒューズが壊れた。ヒューズは一定以上の電流が流れたら飛んで(壊れて)機器の故障を防ぐ部品「だから」その声質により飛んだと考えるのが順当であるはずだが。厳密にそうだとは言い切れない。「ので」や「だから」を使って言葉をつないでも、それが正しいとは限らないし、すべてを疑って人間の主観としてしまえば、日常の出来事の法則性は成立せずガラりと崩れていく。

なんとなく自我やら理性というものに、限界や問題点をうすうす感じていた若い頃の私にはヒュームの懐疑論は胸が空くような思いのする考え方だったし、今もこのヒュームは私が影響をうけた人の中に数えられる…が、カントはさらにその考えを拡張した。(というか、ヒュームの思想って、こんな単純なのになんで評価されているの?という疑問すら残る)

デカルトは、コギト・エルゴ・スム「我はあるゆえに我あり」つまり自我はある!といったが、ヒュームはそれを否定して知覚の束しかねーよと言った。カントは2人の間をたもって自我はそれら知覚の束を総合する機能があるというような折衷案を採用した(と今のところ私は理解している)。

ちなみに上に出てきたバークリーさんは「存在は神と精神だ」と述べている。神の存在を信じているのは、まあどうでもいいとして、知覚できる精神しかないというのは極端だがSFチックで私は好きだ。

映画マトリックスの世界=(パトナムという哲学者が水槽の培養液に浮かぶ脳みそに電気で刺激を与えている様子を思考実験として描いたそうだが、)バークリーの例え話に出てきた神がコンピュータに置き換わったペシミスティックでシュールなSFだが…それを私達は簡単に否定することは難しいのではないだろうか。

で、ここまでが前置きなのだが、カントには快楽主義者エピクロスやライプニッツをひきついだ合理主義者ヴォルフという好敵手(ライバル)がいる。

なぜか哲学の教科書は系譜で哲学史を説明しようとするが、歴史解説なら敵をまずぶつけないとストーリーが立体に見えてこなくね?とふと思った。

ヴォルフさんは、当時アカデミックな世界で力をもっていた。カントと同じドイツ人の哲学者であり、ライプニッツの合理主義を更に引き継いだ(いやそれをさらに深めた)思想を持っていた。超自然(自然・神・魔術・神秘)についてのルールはすべてその中に含まれる。理由のないものはこの世にない。そんな考えの持ち主だった。理性主義とか合理主義と言ってもいい。ま、現代においてもそこまで間違ってはいない。科学のスタンスも基本的にはこれだ。

名探偵コナン「真実はいつも1つ」みたいな感じだ。

すべてのものごとの結果をくまなく探せば、理由が見つかると考えるような人だった。

超自然=理性と言っても差し支えない。そういう意味では、カントがこだわりをもって考えた道徳的な善い行いについても、そうすべきな理由が超自然の中に含まれていると考えていたのだろう。

このような考え方は、わりと私達にはしっくりくる考え方ではある。

宗教的にも耳障りのいい言葉だ。

「すべての答えは神様が知っている」わけで、松任谷由実の「やさしさに包まれたらな」でも、「小さい頃は神様がいて不思議に夢を叶えてくれた。やさしい気持ちで目覚めた朝はおとなになっても奇蹟はおこるよ(中略)目にうつるすべてのことはメッセージ」というある種のスピリチュアルな幸せのあふれる超自然にたいする甘く美しい詩・唄を、嫌う人は無神論者だってそうはいないだろう。

しかし、カントさんはそんなヴォルフ一派の哲学を高く評価をしつつも、理性の分析に関しては甘いなぁと考えてか、ヴォルフさんそれはあんたの「独断論」じゃねーかと批判することになったそうだ。

当時、多くの人が納得していた合理主義=ヴォルフの思想は当時のドイツで哲学の教科書にも使われていたし、カントもそれを使用していた。

カントさんは、アンチ・ヴォルフ一派となり、自分の考えを発表した本が『純粋理性批判』である。

としたほうが、なんだか面白そうな気がしません?私はするけどな。というぼやきでした。

ちなみに、ヴォルフはヴォルフで無神論的なことを発表して、ハレ大学を追放されるほどに、筋の通った人ではあったらしいという意味ではなかなか面白いし侮れないひとだと思う。

徒然草2.0
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