ビクトル・ユゴーの「ああ無情(ラ・ミゼラブル)」が昔から好きな本の1つですが、最近はピッコマというサイトで漫画家・犬木加奈子が描いた「アロエッティの歌」を読んでいます。ファンテーヌとコゼットとテナルディエ夫妻の部分だけを抜き出したストーリです。
犬木加奈子のホラー漫画作品はどれも大変おもしろい…と言うほど、すべてに目を通してはいないのですが。いくつか目を通しました。他の作品にも言えるホラー漫画ですが10%ぐらい…か、いや5%くらいだろうか。ほんの救いがあるシーンがあるのです。現実の95%以上は大変なことばかりだけど、五分の救いを挿入されているのが自然でうまい。ホラー漫画のゾーっとした地獄にひたっている時に天から一筋の蜘蛛の糸が降りてくる時がある。またその救いが、絶望を増大させるための救いでもなければ、道徳臭さを漂わせるための救いでもない。藤子不二雄Aの笑うセールスマンのお客さんもだいたい不幸になるが、幸福になれる人も中にはいるような、ふと気づきを得る瞬間が不意に訪れる。
自然と立ち現れる「救い」100%の救いなしのホラー漫画は、それはそれでいいものなのだが時に味気ない。その手の普通の残酷なホラー漫画とは違う味わいが、犬山加奈子の漫画にはあって…そんな奇跡がいつ起こるのだろうか?と気にしながら読んでいる自分に気がつく。ジーンと心を打つものがある。そういえば五分の救いがあるという点ではラ・ミゼラブルも同様なのかもしれない。
登場する人々が不幸になる話ではあるが、いくつかの救いがあって最後は一応グッドエンド。人はどんな境遇にあっても救われたいと思っている。ビクトル・ユゴーが描いた現実社会と理想的なドラマを確かな筆力で描いている。そういえばレ・ミゼラブルはキャラが濃い人間ドラマなのに、あまり漫画家されていない気がする。なんでだろう。探せば他にあるんだろうか。
そういえば「やむを得ず戦士は言いぬ」という歌が何度も漫画の中で出てくる。これが原作に出てくるお決まりのフレーズなのかはわからない。ただ、とても短くて奥が深い言葉である。戦士は言い訳しないという意味だろう。戦士だったらこんな時に、自分の行動と境遇にに言い訳しないだろう。現状を受け入れるという信念を表したマントラと言えばよいだろう。悲惨な状況でも戦士は「やむを得ない」と言わない。どんな辛い時でも受け入れると決めていれば、すべての不幸を人間は受け入れられるのかもしれない。
ふと暗い気持ちになったとき「やむを得ずと戦士は言いぬ」そんなふうに孤独と向き合うのもいいかもしれない。
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