googleで「おひとりさまの」と入力して検索すると、
おひとりさまの「ランチ」
おひとりさまの「老後」
おひとりさまの「女」
いろいろなものが出てくる。
おひとりさまの「ブログ」などというものも出てくる。
おひとりさまのブログって何だろう?
ブログはひとりで書くものだと思うのだが。
検索してみるとブログ村の「おひとりさま」というジャンルがひっかかる。
どうやら、30代のおひとりさまや、40代のおひとりさまが、どんな生活やどんなメンタルで生活をしているかが気にしているということなのだった。
年齢別のおひとりさまブログが出てきた。
これは、ちょっと私が考えた趣旨と違うようだ。
おそらく、孤独性を表す言葉として「おひとりさま」という言葉があるようだが、オンリーワンの「尊い私」という意味で「おひとりさま」というワードを、システムという言葉と組み合わせて使いたい。というのも、情報システムは大勢で使って効率化が図れるから、小さい力で大きな利益を生むのである。だが、そうすると、ひとりひとりにカスタマイズされたユーザ体験を結果として犠牲にせざるを得ない。
例えば、Appleが発売したiPhoneでも初代マッキントッシュでもいいが、これらの製品は「おひとりさま」のコンピュータすなわちパーソナルなものにシンプルさをもって近づくためのデザイン指向だった。だから、みんなMac最高と口をそろえて言う。だが、これでもまだ足りないと私は思うのだ。ユーザ体験はどこまで追及しても、最大公約数的に使い勝手を良くしたシステムでは、どこまでいっても自分には使いづらいはずである。
なぜなら、ひとりひとり感じ方が違うから。
おひとりさま用のUIとデータ構造を持ったシステムが必要になってくる。
自分で自分好みのものを創るという醍醐味はニーズとしてかならずいつの時代もあるはずで、いや均質化/フラット化が進めば進むほど尖ってくるはずではないだろうか?
…なんてことを最近はよく考えている。
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