【戯言】都合のいいスピリチュアリズム

徒然草2.0

神話を読むとか寺社仏閣巡りとかが嫌いではありません(好きとは言っていない)。

スピリチュアリズムとか宗教本とかがわり好きです(好きとは言っているが、とても好きだとは言っていない)。

ただ、古典よりも新興宗教とかの教本とかニューエイジ系とかの方を好む気がします(広く万遍なく好きなんであって、別に新興宗教やニューエイジ系を好むわけではありません)。

ちなみ、私は徹底した無神論者なのだと思います(!)

霊魂や輪廻思想を”まったく”と言っていいほど信じていません。むしろ、輪廻思想というものが嫌いです。自由が一番だと思っているので自分を束縛する思想というものがたぶん好きではないのでしょう。そう考えますと極めて自分に都合がいい趣味嗜好だと思います。信仰があって信念や教義が生活を律するのではなく、信念が信仰を作り出し教義は都合のいい信念から生じるので、結果的に都合のいい教義、都合のいい信仰心、都合のいい世界の解釈、都合のいい関係性、すなわち、都合のいい人間関係…都合のいい男女関係、なんか嫌な感じになってきた(汗)すなわちご都合主義なんだな…。

ポルターガイストなどの心霊現象についての本を自主的に読むは嫌いじゃない(好きとは言っていない)けど、あれは人間の無意識領域で起ることだと思っているので、その手の話をする人とは意見が合いません。物理的現象化する場合もあるのでしょうが無意識領域のできごとをごっちゃにするからよくわからなくなる。

…それを言ってしまえば奇跡もその手の説明がつくのではないかと思うので、信じていません。信仰心が薄い…そして、この拒絶部分が強いせいで捻じくれているがために、そこらへんのスピリチュアリズムに対して寛容な態度がとれません。とはいえ、いい大人なので、他人とは異なる考えを認めなければいけないわけです。まあ、そういう意味では差別的な態度をとらないようにしたいところではあるのですが、やはり信じていないものを信じるような発言をするということは神への冒涜ですから致しません。神を信じていないのに神への冒涜と言い出す矛盾には触れません。まあ別に、私への考え方を改めさせようという人もそんなにいないでしょう。

聖職者というものは総じて薄情であり彼らは神にのみ興味がある。そして成功している聖職者は政治的運動エネルギーを理解しており、自分の立ち位置を適切に使っている。そんで、彼ら聖職者は自分と自分の政治的な対地位置とに次いで、自分の神を信じる信者にしか興味がありません。神様を信じず面倒なだけの私のような愚昧な輩にはかかずりあうだけのエネルギーを持っていない…というわけで。だから、スピリチュアリズムは独りでやるもんだなぁと思うに至る。強いて言えばスピリチュアリズムのいいところは密教みたいなものであり、他人にわざわざ公言するものではないんだろう(私の場合はあれやこれやと思ったことは書くことにしています)。

それはともかく、興味を持つものにははやりゲームに影響を受けている物が多いです。厨二病とでもいいましょうか。

なので自分の趣味嗜好を正確に言うのならば「厨二病的ご都合主義的スピリチュアリズム」なんじゃないかなと思った次第なのですが…”的”という字が2文字も入るのでご都合主義と厨二病のいずれかにしたほうがいいかな。じゃあ「ご都合主義的スピリチュアリズム」かな。あれ。でもスピリチュアリズム=心霊主義なので主義が2文字も入っていて分かりにくいなあ。

都合のいいスピリチュアリズムでいいか。

まとまった、。

つーか、世の中のスピリチュアリズム好きは、どこかみんなご都合主義なんだと思います。

宗教性を排除して好き勝手に自分の心霊主義とか神秘主義とかを生活に取り入れることですから。

てことは、”ご都合主義”なんてわざわざ自明的に言わずもがな、

スピリチュアリズムな時点で自己都合に寄るものなのかもしれない。

徒然草2.0
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