人は生きるのにもエネルギイが要りますが、死ぬのにもまたエネルギイが要るんです。
死ぬのは25歳ぐらいまでならなんとかなりますけど、それ以降は経験が邪魔をしてそう簡単には逝けなくなるものなのでは。
そんな気がしています。なんの根拠もありませんけど、そんなものではないかと。
ある人が、死ぬのならクリーンに死にたいと言うんですけど、私はそれに反対です。
もっともクリーンな死に方は常識の観点からも火葬です。
うんこは水洗、死体は火葬、そう決まっているんです。
だから、死ぬときは人の目の前でなるべく綺麗に死なないといけないんです。
ということが、分からず自分の死に様を夢想する人に一体どうやって分からせればいいのだろうか。
そういえば、うんこの記事が不評です。
「【戯言】うんこ入りのカレーを作っているのは誰か? | ごみぶろぐ」
自分の知っている人と自分の知らない人に、さんざ非難されました。
であればこそ、この記事は書いた価値があったなあとしか思えない。
エロ・グロ・ナンセンスというか、現代は私からすれば、最初からスカトロジー的ありさまでありまして、
よくよく考えたら、このブログも「ごみぶろぐ」じゃなくて「うんこぶろぐ」にしてしまえばいいとさえ、
思ってきましたよ。ハンドルネームもgomiryoからunkoryoに変更しないとな。
いつ変更しようかな。
雪山で捜索隊が見つけた死体は悲惨です。
凍りつき、半分ミイラ、半分肉塊、骸骨、骨と化す。んでもって、獣に荒らされる。
腐って土に戻ればいいですが、、、野口健が富士山でゴミを拾っているの知らないんですか?
雪山だと土に戻りにくいんですよ。
まあでも、経帷子(きょうかたびら)を着て頭にロウソクを2本おっ立てて雪山に突撃したら、
誰も怖くて止められないでしょうねえ。本物のロウソクだと火が消えてしまうからもちろんLEDのロウソクにしましょう。
そしたら、逆に笑けてくる気がするのはわたしだけ?「そこ火じゃなくて火に見えるLEDかよ!」ってつっこんじゃいますね。
まあ、そうしてお笑い芸人ばりに一人気分を盛り上げて雪山に突撃しても、正気に戻って公開つのらせたらサクッと低体温症で死ぬだけかなあ。
南無阿弥陀仏。ところで、そんな人にはこの記事がオススメです→ 「【戯言】私たちは「山で死んでいい」 | ごみぶろぐ」
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