スピリチュアルとは何か?について面白いリンクを頂いた「 スピリチュアル思想史、ニューエイジ思想史を体系的にまとめる – 耽溺電網」そういえば私自身が都合よくプラムマティックにスピリチュアルという言葉を使い分けている。
「本当の自分になるための取り組み」と言われると心地よい気がする。
しかしながら「すべての出来事には意味がある」と言われるとちょっと違うかなと思う。
ジブリ「魔女の宅急便」の”やさしさに包まれたなら”は神様からのメッセージを受け取る話であるが…聞いていて違和感がある。
考えすぎかもしれないが、スピリチュアル的な歌だと思う。
ただ、この”やさしさに包まれたなら”という松任谷由実の歌は、こどもの頃はスピリチュアルな世界で生きていたが…大人になってからはそのことを忘れてしまっているという歌である。
大人はスピリチュアル的ではないものだ…と決めかかっていて「思い出してみませんか?」と大人を現実から幻想へ誘う曲に過ぎないのかもしれない。それなら海外の子ども向け映画も同様の設定がいくらでもある。
ジブリで言えば、となりのトトロのトトロも、そこに出てくる真っ黒クロスケも、小さい時にしか見えないものという設定。千と千尋が行った神様のお風呂屋さんがある異世界も、もとより大人には感知できないところだろう。千尋のお父さんとお母さんは豚にされるところまでは一緒に行ったはずだが…きれいさっぱり記憶から消されている。千尋の記憶からも消えてしまうものだろう。
大人になるとその存在すら気づかなくなってしまう…ジブリの映画にはその手の描写が多い。
ジブリに限らずディズニーにもその手の表現というか設定はたくさんある。
スピリチュアルというのは、言ってしまえば子どもっぽい発想っていうことなのかもしれない。
まあそれはともかく、スピリチュアルなんぞや?て話に戻していくが「すべての出来事に意味があり、それは霊的な何かのメッセージである」といことには違和感がある。つまりジブリ的に言えば、私は大人なんだろう。はは。(苦笑)乾いた笑い。
なんつーか、大人になりたくないもので。
多くの神事が見えたほうが面白いでしょう?
まあしかし…人生には理不尽がつきものだが、そこに意味があるかどうかは意味を見出す人次第のところがあるし、自分の周りにある不幸や自分そのものに降りかかる不幸については、意味など求めないほうがいいことがごまんとある。
幸い別に私には、耐え難い理不尽がないので、それはそれでありがたいと思いながら、なんとか生きているが。
(神様に囲まれて生きている感覚のほうがいい時もあるけど、そんなこと忘れてしまった大人になるほうがいい時もある、なんつーか、どっちもありだなと思います)で、どっちもありだなという分別がついた大人になると世界が広がったようで狭まる…あれ、おっかしいなあ。世界が広がった筈なのに世界が狭まっている。
他人にバカにされてもいいから幻想の世界が見れる広さがあったほうがよかったんじゃないかな。
そういう意味では、違和感を覚えながらもスピリチュアルというのは個人的には肯定したいかな。
ていうか、みんな多くの人はそうなんじゃないかな。
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