山の中を睡眠時間を削ってで彷徨っている。
雨と汗と湿気で体は濡れて、あるき続けているのに体温も上がらない。
午前3時あたりは薄ら明るくなってきたが、山の朝はとにかく寒かった。
限界だ…低体温症なのか腹痛がして体が動かなくなり意識が遠のく…もう駄目かもしれない。
ってほどでもないけど…ちょっと山をなめてたなぁ…って時にご来光が山間から顔を覗かせる。
木々の間を縫って赤外線がジリジリと顔を焦がし、かじかんだ体もジンジンと熱を帯びてくる。
冷たく青白い身体が「助かった」と私自身に呼びかけてくる。
頭で分かる=体が訴えているだ。
頭で理解してから体に理解させようと逆にすると、だいたい無理なんだよな。。。
自然の厳しさが一変して、今までにない太陽の有り難みを感じた瞬間だった。
この瞬間において「神様ありがとう」と言わずして、その言葉をいつ言うんだろうか?
…という体験をしたことがある。
いつしかエアコンのきいた部屋の中にいると、そういった自然の厳しさも有り難さも感じない人間になってしまう。
…この話を、女性にすると「わけわからん」と言われるんだけど、なんでだろ。
男性だと「あー、いい体験しましたね」的にかえしてくれるが。
自分がそういう自然に対してアクティブな人とあまり関わりたくないからかな。
知らんけど…
※太陽はみな等しく人を温めてくれるので、これが自分の描く「無条件の愛」なんじゃないかな。キリスト教の人が「無条件の愛」と言ってて、それってつまり何か?と考えた場合に、日本人の場合は太陽神-天照大御神-ていうか太陽そのものをイメージするのが分かりやすいんじゃね?と思った次第です。たぶんに、同じようなことを言っている人が多いが、おおむね同意見です。
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