嘘も本気でつけば本当になることがある…みたいな話ってあると思います。
縁起でもないことを言っていると本当になることもあるし、夢を語っていると本当になることもある。中学生になって、部活動をするにせよ「柔道部」には入らないと思っていたところ、気がついたら柔道部に3年間はいっていました。
思い込むとそうなったり逆のことになったりすることがある。
特に変化に富んだ若い人はそうなりがちかもしれない。
昔とある社長セミナーの動画を見ていたら…
そのセミナー講師が「社長は演技してください!」演技してなんぼだそうです。
本気に成らなくてもいいけど演技が上手くならないといけないらしい。
演技ってなんか嫌だなと思ったけど、立場上そうしないといけないという意味では、よくよく考えるとみんな演技をしている。
演技だから嘘であるかと言えばそういうわけではなくて、演じているうちにそれが当たり前になると本当になる。
芝居だからフィクションだというのは、本当の芝居であるならまだしも、人生という舞台になるともはやどちらでもないのではないか。人生は1回かぎりの喜劇だという人もいるが、1回限りのものを喜劇とは呼べない。客観的に振り返る目線があれば、そう生きているうちに思うことはあるけれど、人生は常に本番だ。
たぶん、こっちのほうがしっくりくる。
というわけで人というものは、あるべきろんで自分を演じているうちに…演じているうちにそれが演技でなくなることもあれば演じきれぬと辞退することもある。演技も演じていることがバカバカしいと思うのも、演技ではなくて本気だと思うのも、実はあまり大差がないし、演じて乗り切れればそれでいい。
最後に1つ言いたいのは「自分は演じられない」極端なことを言えば「自分は自分でない」と思ったら練習だろうが本番だろうがおしまいだということ。そういう幻想の内にあるべきで、その外はない。
外はただのカオスで、ゲシュタルト崩壊するだけ。
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