【戯言】大塩平八郎の道という本を読んだ感想

徒然草2.0

なんとなく革命家になろうと思い『大塩平八郎への道』森田康夫という人の本を読んでいる。

大塩平八郎の乱からではなく、大塩平八郎の思想の本質がどういうものであったか。なぜ陽明学を学び私塾を運営していたのかを明らかにしていくという内容で何か得るものがあるのでは?という思いから。

儒学は、儒教→朱子学→陽明学という変遷はあるにしても、孔孟の教えという言葉にもあるように、結局のところ陽明学も儒学は孔子と孟子の言葉をどのように解釈するか?ということに尽きる。

また仁を重んじるあまり、古いことを捨てず新しいものを取り入れたがらない排外主義的な政治システムになりがちであり、儒教そのものを嫌う者が多いが、書いてることは概ね正しいし「個人」としての心構えという意味では十二分に使えると思います。使えるなんて言い方はちょっと上から目線ですが、今のところそう捉えています。

最も興味があった言葉は以下のくだり。

学は必ず相講じて後に明らかにならん。講ずれば必ず相直(ただ)して後に尽くす。孔門の師友、窮問し極限を厭わず、相然諾し承順せず。謂う所の審(つまびら)らかに問い明らかに弁ずるなり。故に此の時に当たり道学大いに明らかならん。(中略)講学は須らく此(かく)の如く自ら是之心を堅くし、人の相直す悪(にく)むなきを要すべし。

『大学』にこのようことが書いてあるようですが、これってつまりは「コミュニケーション論」ですよね。

私なりの言い方をすると「学問をしていてよく分からない部分があっても面倒くさがらずにしっかり話し合うようにしないといけないし、それによって嫌な気持ちにならずにしっかり道を極めていこうよ」って感じになると思うんですが、此の時代からそういうことって面倒だと思う人が多くて議論を避けてしまうことがあったのだろう。だけど、そういうのはよくないよ。きちんと分かるまで話すべきだよ。

そういう話だと思いまして、これは今も大事な学問に向かう上で大切な心構えだなと思いました。

徒然草2.0
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