枕詞として言っておくが「発達障害の症状は十人十色だから、私の意見は誰かに役立つかもしれないが、まったく何の役にももたたないかもしれない」
少し前のことですが…コンサータなどの薬をを飲まなくなりました…というかクスリをもらいにクリニックへ行かなくなりました。行かなくなった理由は…病院に2週間毎に行っていましたが、何を思ったのか…カレンダーを見ておらず3週間経過していたから(いつもは診察券の予定をカレンダーに転記するが、カレンダーに転記もしていないし、カレンダーを見える位置に置いてすらいない)つまり、予約をすっぽかしたのを1週間も気づかないでいたのでした。
まあ、心のどこかで「すっぽかしてもOK」だと考えていたところもありました…いつもは「今日は病院に行く日だっけ?」と2週の間に病院へ行く日の再確認を何度もしますが、仕事に忙殺されていたということも理由に挙げられるかもしれませんが(忙しくて病院をスキップしたことが何度かあるが)「病院へ行くぞ!」という思いが薄れて、ノーチェックできてしまったというのもありますが、「もう、自分にはクスリはいらないかもしれない」「自分は大人の発達障害とはちょっと違うかもしれない」と心のどこかで思っている、というのが一番の理由なのかもしれません。「コンサータないとヤバい」が「コンサータあってもなくても生産性が変わらん」という感じになってきたため。。
記事タイトルにわざと過去に飲んでいた強力なクスリの一部の名前をあげていますが…いくらこれらの力を借りて何かがマシになってもマシになる気がするだけで「根本的な解決にならない」ならばいっそのこと、これらに頼らない生きていくしかないんだ!みたいな妙な確信みたいなものが自分の中に生まれてきました。
無論その異常な思い込み!決めつけ!時々高くなるテンション!それこそが双極性障害をはじめアスペルガーやらADHD/ASDが疑われ、社会性やら共感性やらというものに乏しいと見られる「私」を生み出している主要因と言えるのかもしれませんが、ひとつ言えることは、クスリを飲んでも、そう思われる「私」の厄介な要素が客観的にも主観的にも和らぐ効果が無くなってきたので、一度クスリから身を退いてみるいい機会かなと思いました。私の主治医も「しばらくするとみんな薬を飲まなくなるんですよね」と言っていたので、私のような人にはある意味で慣れっこなのでしょう。不要だと思った患者からクリニックから消えて行くのは当たり前でしょうし。
コンサータに限っては「全集中」を作り出す魔法の薬だという思いもある一方、頭痛や極度の疲労感をもたらす諸刃の剣でもある。多少の眠気もすっ飛ばしてくれる頼れるヤツだし、初めて飲んだ時「世界はなんて静かなんだろう」「自分の頭の中にいた飛び交う悪霊の妄言が無くなった」と思ったが、最近はそういう効果もあまり感じなくなってしまった。それに、本当に疲れている時や眠い時やメンタルがヤバい時にコンサータを飲んでも魔法効果は高く発動しない(当たり前)。発達障害でもなんでも無い人が、自分の能力(脳力)を最大限発揮するためのドーピングとして飲もうとする人がいるみたいだが、絶対に辞めたほうがいいと思う。別に飲んでも頭が良くなるわけじゃない(苦笑)集中力に難がある人には一定の効果はあると思うが、それでも根本的な解決にはならない。だから、そういう意味で「魔法の薬」ではない。
とはいえ…様々なクスリを飲むことを否定する気はなく、むしろそれらの取り組みを肯定したい方だ。薬を色々と飲んでみて初めて色々と分かったことがある。依存性が高い薬は別だが、興味がある薬を選んで飲む「実験」はそこまで否定されるものではないのではないか。
ただ私が…クスリよりも何よりも「日々のルーチンワークを派手に変え過ぎない」ほうが人生のクオリティを上げるための重要な取り組みだと思うに至った。月並みな結論だが「睡眠」「食事」「運動」を大切にして「仕事」「家庭」に向き合うことしかできない。
…あえて言えば、自殺願望や強迫観念や他者に対する攻撃的姿勢などの反社会的衝動が異常に強い人については、自分にロボトミー手術を施すような薬を投与することも否めない場合があるかもしれない。その場合はストレスの無い世界に行くのが一番いいのだと思われるが、クスリに頼ったほうがいい時期っていうのもあるんじゃないかな。自分が思うのは、それぐらいかな。。
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