人生の物理時間は長くなっています。
日本人の平均寿命は男女平均にせよ軽く80歳を越えています。
…ところが、ヨガをやっている人は早く死にます。
統計的根拠があるのか分かりませんが、若くしてころっと死ぬ人が多い気がします。
だから、ヨガは健康に悪いのかもしれません。
ただ、それは決めつけで、ちょっと早計なのかもしれません。
(最後に、この話に戻ります)
…ていうか、長く生きることがいいこととは限りません。
あと、少しだけ話は逸れますが…呼吸だけで生きている人とか、太陽の光だけで生きている人とか、
そんな主張をしている不思議な人が特にインドなどにいます。
なぜ、そういう主張をする人がいるのでしょうか?
…たぶんなのですが、この飯を喰わずに生きる人とか寿命が短い人には、文化的に共通点がありそうです。
あまりこのへんに興味を持つ人がいないみたいなのですが…なんとなく最近とても腑に落ちて分かるのです。
ヨガの呼吸コントロール方法を「プラーナヤーマ」と言ったりします。
プラーナというのは宇宙に充溢する生命エネルギーそのものです。
西洋化学的に言ってしまえば、単に酸素を肺に取り込む作業=呼吸ですが、
ヨガ業者からすれば、プラーナなるものを取り込んでいるのです。
これを「はいはい酸素のことね」なんて、決めつけるから逆に理解できなくなります。
理解した気になって文化的な背景をとりこんでいないことになっている。
アーヤーマも英語で言えばコントロールですが、止めるとか、伸ばすとか、そういう意味もあるそうです。
だから、たぶんですがコントロールっていい方がよくないのです。
制御方法ではあるのですが、ラジコンみたいなものというニュアンスは、捨てないといけない。
と思っています。
コントロールとかメソッドとか言い出すとメンタルの大切なものが失われたりします。
日本の武術や忍術なんかも西洋に渡ると違うものになってしまったりします。
そうして新しい発見が別の文化圏の人によって科学面や精神面でも押し広げられることはありますが、
やはりちょっと違うなと思うことがあります。
私たちはそのことに少し思いを馳せるべきだと思います。で、ヨガに至っても同様です。
ヨガの意義は分かりませんが、宇宙エネルギーを取り入れて肉体を超越していくみたいな、
壮大なストーリーが背後にあるわけなので、寿命が尽きるとか、健康に悪いとか、飯を食うとか、
ハッキリ言ってどうでもいい。「プラーナを体内に取り込んで永遠に心穏やかに生きていく」
みたいなもので、無駄である以前に、余計な話題なのです。
忍術が現代のサイバーテロ時代に役立たないとか言うような野暮なことを言うようなもの。
いや、ステルス迷彩は木遁の術の応用だ!とか議論するのは面白いかもしれませんが、
その手の雑学談義にしかなりません。
ヨーガのプラーナヤーマの語るにあたって短命や食事を語ることがおかしい。
「光や呼吸だけで生きていて水すら飲まないで永遠の命を得た人がいる」というニュースに対して、
いや、そんなわけがない。
食べないと30日で死ぬ、水を飲まないと人は3日で死ぬ、寿命が縮むのだとか、
言う科学的根拠っぽい理屈をとってつけることそのものが、現代人の野暮な言い草なのです。
現代という病なのです。誤った俗というものです。
インドとか向こうの土地の私たちが興味があるトピックを目撃しているに過ぎません。
非科学的であることは怖いのですが、現代人的であることもまた怖いです。
その画一的な思想を正しいと思い込んでしまうから。
プラーナで生きているひとがいる。
…そのことに私たちは恐らく合掌すればいいのです。
その土地のマジョリティから見ても異端者だとかそういう意見はあるかもしれませんが、
それはそれ、これはこれ。
やあ、ありがたいことだ。そうなのか。
そういうスタンスで生きているひともいるんだな。
食べないで生きている人がいる、短命を気にしない人がいる。
そういうったことがニュース・トピックスとして取り上げられる。
そういう文化的な背景があると理解すれば腑に落ちます。
彼らの一部は食物エネルギー生死を超越しているのだ。
そう思っていればいいのだ。
…てなことを、最近は思ったりします。伝わりますでしょうか。
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