『教養としての西洋哲学思想』(佐藤優✕伊藤賀一)内容が偏っている(汗)社会契約説はフィクションなのか?

徒然草2.0

伊藤賀一という人が守破離の守を書いた後、佐藤優が守破離の破の部分を担当し、2人の対談で守破離の離を論じるという構成になっており、ベースとなる西洋哲学史の哲学書の内容をおさえつつ、それをどのように応用すればいいのか?を、具体的に説明してくれる変わった本だ。佐藤優が監修すれば売れるでしょう?的な企画のもとに生まれた本なのだろう。

基本的に質は高いと思うが、後半の内容はだんだんいい加減になってくる。

例えば、ホッブズ、ロック、ルソーの社会契約説は作り話(フィクション)である、みたいな論調で書かれていて違和感を覚えました↓

社会契約説とは、「個々の人間は、(自然権があるので)本来は自由で平等な存在だが、秩序や平和を守るために、便宜上、社会や国家を形成する契約を結んだ」とする考えです。「社会や国家を形成する以前の自然状態から、契約を通じて自然権が保証された社会状態(=社会や国家)に移行する」という作り話(フィクション)で、自然権の侵害を防ぎ、王権神授説を否定しました。(中略)ホッブズは「人間たちは、平和と自己防衛のために国家が必要だと思い、自らの自然権をあえて放棄し、統治者に全面的に譲渡〔移譲〕する契約により社会秩序を実現しようとした…」というフィクションを創り出します。(中略)(ロックは)「人間たちは、平和を維持し、自らの所有権を守っていくために、国家を作ることでお互いが同意した…」というフィクションを創り出します。(ルソー)「人間は、身体や財産を守るために、共同体の共通の意志に沿って政府を樹立し、自分たちの権利を全面的に委任することにした…」彼は、著書『人間不平等起源論』でこのようなフィクションを唱え、…

『教養としての西洋哲学思想』(佐藤優✕伊藤賀一)

なぜいきなりこの人(伊藤賀一)は、社会契約説はフィクションだ!と言いくるめたかったのだろうか?(苦笑)まあ、社会契約説はフィクションです!って言っていた社会科教師が他にもいたし事実でありある意味これは社会科教師がつかい古した定型文なのかもしれないけど、フィクションを信じるなんてバカだよねってニュアンスを含む気が個人的にするけどそれっていらない感覚では?

自然権・自然法は普遍的なルールだけど、実定法は結局は人がその上に築いたモノ=フィクション=虚構だって力説したいのかな。なんだか危ういね。いや近代理性は危ういものだが、それならそれでその説明がいるような…。まあ現代思想につながる話だし、近代国家を終わらせたいのか終わったと思っているのか知らないけど、それは本人の意見だし思想なんてみんな脳内でこねくり回したフィクションですが。本の冒頭に「これはフィクションです」って、書いておいたほうがよかったのでは?

私は社会契約説に限らずだが、フィクションだからダメと言いたいわけではなく、フィクションを信じて実践するのが思想的な行為だということをしっかり伝えないとダメじゃね?と言っている。というわけで雑思想史などというものをまとめてこの本を参考にしている私が言うのもなんだが極めて雑な本だ。別に期待はしていないが教科書的に使える本で間違いないだろうとは思ったが、。

あとそういえば、ノーム・チョムスキーは思想として傍流なのか名前が出てこなかったわりには、ガンディーやマザー・テレサやシュバイツァーや杉原千畝などが人道主義者として名前が出てくる。他にも、現代の変わり者として、イーロン・マスクやジェフ・ベゾスなども名前が出るなど、だいぶいい加減になってくる。傍流の思想家に焦点が行き過ぎているという感じ。

編集者が興味があれば名前と何をしたか載るが、不要だと判断されればばっさり消されているようだ…とは言え、いろんな思想家の代表作と主要な議論や哲学的タームが散りばめられておりこの本を軸にして知性の系譜を学ぶには使えるかもしれない。

…というわけで当たり前ではあるが1冊で西洋思想をおさえるというのは、当たり前だが限界だった。

けっこう分厚い本だが文字が大きく読みやすかった。

たぶん著者らは教師業をやっている人たちなので、意図せず若い人を対象にはしてはいるのでしょうが、大人が勉強をし直すのにも適してはいると思うが、まあフィクションだーなんだと再三と言われると、そんな作り話は信じなくていいやと思うし勉強する気が失せると思いますので、そこは工夫がいる。

徒然草2.0
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