読書|『世に棲む日日』を読んでる(6)おもしろきこともなき世をおもしろくーー革命は反逆ではなく忠義で起こすもの

徒然草2.0

ペリーの黒船に乗りそこねた松陰は、野山獄に監禁されることになる。そこで彼は、囚人に教育を施すことで善人へ導こうという独自の教育論「福堂策」を執筆した。12の独房が並ぶ野山獄では、囚人たちは最年少24歳の松陰を、いつしか“尊師”のように仰ぐようになる。

道を挟んだ向かいには、百姓身分の者が収容される岩倉獄があり、そこでは病弱な金子重之助が肺炎を患い、ついには命を落とした。

一方その頃、18歳の高杉晋作が、すでに松陰に入門していた久坂玄瑞に連れられ、松下村塾の門をくぐる。ちなみに「おもしろき こともなき世を おもしろく」は、28歳で肺結核に倒れた高杉晋作の辞世の句だというから驚くばかりだ。死の淵でなおこの明るさ、もはや一種の狂気に近い。

なお、下の句「すみなすものは心なりけり」は、看病にあたっていた野村望東尼が添えたものらしい。一応まとまりはついているのだが、心の歌になってしまっており、うまく言えないが、どこか少し違う気もする。

その他に松蔭の取り巻きは様々で、富永有隣松浦松洞吉田稔麿、が紹介される。

そういえば、革命について私は勘違いをしていたことがある。

そもそも革命とは体制を裏切ってというか見限って行うものだと思っていたが、真の革命家にとって忠義ゆえに革命を起こすのだ。

高杉晋作について司馬遼太郎はこのように書いている↓

幕命に反逆したというよりも、反逆する必要のないようにかれ自身が藩権力をにぎって藩の政治的方向を変えようとした。さらにかれのおもしろさは、藩主への忠誠心のつよさである。「自分の家は、他の連中の家とはちがう。戦国のむかしから毛利家をたすけて存亡を共にしてきた。いかなることがあっても藩主はまもらねばならない」ということをしばしは言ったが、この忠誠心というのは倫理というよりも性格で、晋作には劇場的な詩的ロマンティシズムというものがうまれながらにしてあった。松蔭もこの点はおなじで、この両人の理論では忠義と革命は矛盾せず、むしろ忠義をつくすために革命をおこすというべきもので、晋作は後年、幕府から藩が武力圧迫されてどうにもならなくなったとき、ーーもし藩が焦土になれば、おれは藩主御父子をひっかついで挑戦へ亡命する。といったことがある。他の多くの藩の志士たちが、藩主と藩をすてることによってはじめて革命家でありえたのとは、ひどくちがっている。これは晋作の限界というより、むしろこの両道を同時に満足させようという点、この男のすさまじさといってやるほうがいい。そういう男なのである。

見限って革命を起こそうとする者は、結局のところ、革命そのものをも見限ってしまうことがある。しかし真の革命家は、実はそうは考えないし、またそうであってはならないのではないだろうか。

革命の目的――あるいはその意志の根底にあるもの――は、単なる不満や断絶ではなく、革命そのものへの忠誠心、そしてある種の“他者”への献身によって支えられていなければならない。そうでなければ、意志は長続きせず、最後の結実点にまで辿り着けない。

この“忠誠心”がある方が、生き様として強固になるし、革命という行為においても筋が通る。逆に、見限ることを出発点とした革命は、一見勢いがあるようでいて、どこかで必ず無理が生じる。

要するに――見限りから始まる革命ではなく、信念に基づく革命でなければならないということだ。

徒然草2.0
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