『アメン父』田中小実昌と『折伏鬼』志茂田景樹を読んだ感想

徒然草2.0

『義のアウトサイダー』という本で紹介されていて、表現がむずかしいが色んな意味で生々しい?人間の経験にもとづいた宗教心について書かれている本だと思い借りてみた。

…いや、この本によれば宗教心と宗教は異なるものであるらしいが。

後半はかなり消化試合気味だったが、色々と得るものがあった。

…というのも、宗教についてずっと疑問に思っていたことが解けていった。自分の気持が乗る乗らぬとは関係なしに随神の道があるということ。

キリスト教的に言えば聖霊を授かることかな。哲学的にいえば、カント+ベルグソンが、アメン父の思想を知る手がかりになるのかもしれない。アメン父の説話集もあるので読んでみても面白いかも。ただ残念ながら行きつけの図書館には置いてなかった。。

…どういう表現が正しいか分からないが…ただこれより一つ前に読んだ志茂田景樹『折伏鬼』を読んだせいだろうか。折伏鬼=戸田城聖ももとより教師であった。アメン父=田中遵聖となんか字面が似ているのは、それ以外はこれといって関連もなさそうだが、この2人、若い頃に宗教に触れ、そして教職から教祖になった。それくらいだ。申し訳ないけど、なんだか自分の頭のなかで混じってしまっているんですよね。

主観的な立場で人づてに聞いた情報をもとに特定の人物を少しずつ紐解いてベールをめくっていくと、どちらも生の人間が現れたような気がする、みたいなことかも。よくわからないが。

戸田城聖の方は俗物として描かれている。実際に宗教家というよりは商売人と言ったほうがいいかもしれない。たまたま戦後に宗教が流行る時流に乗ることができたが、信仰告白経験を信者に向かって熱く語るのがすべて嘘というわけでもないだろう。宗教家にだって裏表あるものですべてが本当ですべてが嘘なわけじゃない。

池田大作が10を100にした人であれば戸田城聖は1を10いや20にした人物。創価学会の1代目には牧口常三郎がいるが不敬罪と治安維持法により捕まり獄中死している。戸田城聖は生還して散り散りになった信者をまとめて75万世帯以上の信者を集めた。私の世代だと三代目が目立つけど、2代目を密かに慕う人たちがいた。志茂田景樹もその1人。戸田城聖も苛烈で強引な勧誘をする人物でYouTubeで音声を聞いているだけで、だんだん聞き入っている自分がいてくる。

『折伏鬼』の後半は池田大作の野望について書かれている。どこまで本当なのか分からないが非常に興味深いものがある。なお『折伏鬼』は実名を偽名に変えているが今になってはどうでもいい気がするので実名で記す。戸田城聖の経営手腕が作り上げた組織を池田大作が引き継ぎ、組織内外で権謀術数を張り巡らせるに至る動機と軌跡が点と点が線にリアルなっていった。志茂田景樹のルポルタージュ的な書き物は無駄が少なくてすごい。以下は物語のための挿話だと思うが妙に説得力がありません?↓

戸田城聖「大(だい)よ、ほんとうに命を捨ててくれる青年が十万いればだよ。なんでもできる。革命を起こせる。日本を支配することができる。なあ、大よ、そういう連中を十万人、いつの日かそろえようじゃないか」(中略)戸田は広宣流布のために、総本山の大本尊を守護するために、十万の戦士がほしかったのではなく、自分の場前に屍をさらすことをいとわない十万人の結集をはたしたかったのだと思う。あるいは、戸田は信仰心があったうえで、烏合の衆の七十万、八十万よりか、強烈な信仰心に裏うちされた十万人の若者を、広宣流布を達成するために欲したのかもしれない。戸田には信仰心があったのかなかったのか、よくわからない面があった。しかし、池田に信仰心がなかったことはこれまでの取材、調査で明白であり、たぶん池田は戸田の「戦陣訓」をはきちがえて、自分のために命をやすやすと捨てることのできる戦士十万と受けとったことだろう。

今でもそのような実行部隊・私兵を持った権力者がいたら、監視ならびに処分の対象にされるのかもしれないが。

徒然草2.0
スポンサーリンク
シェアする
gomiryoをフォローする
ごみぶろぐ

コメント

タイトルとURLをコピーしました