火垂るの墓の蒼汰はあんな調子だからこそよい、一巡してふとそう思うようになった

ジブリ・高畑勲「火垂るの墓」は小学生くらいの時に見た時は、
なんだかもの悲しいお話くらいに見ていた気がするのだが…

中高生ぐらいになってから見ていた時は、
「結果として妹・節子を栄養失調で殺しただけの
虐待話に過ぎないのでは?」というイライラが募る感想を、
私は持っていたような気がする。

現実的に自分ができることを一切やらずに逃げて、
妹との自然生活を行う自己満足な一面には、
嫌悪感を覚えたものだ。

働かずにダラダラするなんて人としてどうなの?

まーしかし「火垂るの墓」を戦後に一生懸命に汗を流して働いて、
力強く生き抜いた兄妹の話にしてしまったら、
なんだか教訓臭くて、それはそれで面白みにかける気もする。

つまりは、文学にならなかっただろう。

軍国少年が日本敗戦の報を受けて腑抜けになり、
これまでの考え方を否定されながら時代と生きていく中で、
こういう描き方もありなのかな?などと最近は思う。

高畑勲は左翼くさいおじさんだったからか、なにかのインタビューで、
「働かないとこうなるんだよ」ということを言いたかったみたいな、
つまらない話をインタビューアにしたそうだけど、
それはあくまでインタビューア向けの話であると思う。

本来はそういう意味の描画ではないということ。

野坂昭如の原作も借りて読んだのだが、
アニメと何がどう違うか忘れた。

ただ、彼は餓死して死んだ妹との関係を、
せめて小説の中ではきれいなものにしておきたかったそうだ。

ちなみにアニメを最近は見ずにこの記事を書いているので、
なにか間違った点があるかもしれない。

…ようは、火垂るの墓は、最後まで自らの世界観を守りながら破滅する話なのだ。

視聴者または読者は、自分の感性をもとに作品の感想をひねり出すわけだが、
それって”まちまちだよね”と言いたい。

「蒼汰はなんでニートなんだ!」という感想も一意見なんだけど、
自分の半生一巡した30歳過ぎに思うのはその発想は逆に青臭いと思う。

※ちなみに一巡したといういい方が適切なのか?という点には自身がない。
 ただし、もう20後半の人生はだいたい終わっている(一巡めぐり終えた)と個人的には思っている。

そんでもって、日々をダラダラと怠惰に過ごし、
現実なんか見ないで自然生活している蒼汰に憧れるみたいな
純粋で自然な気持ちが、私の中にも芽生えてきたんだと思います。

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