日々、考えること。ブログに自分の主張を書いてはいけない自由について

徒然草2.0

私はブログに思ったことを書いています。

しかし、100%の思ったことを書いているか?と言われればNoでしょう。

だって、思ったことなんて無数にあるわけですし、それをすべて書き並べるなんてことはよくよく考えてみると不可能です。

取捨選択した上で、書きたいことを書いています。「あ、これ書いたら不味いかもしれない」と思うことは、わりと書いているつもりではありますが、書かないほうがいいことは書きません。

つーより、書かないことのほうが多いでしょう。

そんなこと、当たり前はないですか…それに本来、人が主張すべきことは事実とその事実を担保する理由を元に自動的に決まるものであって、そこに個人的な見解はあってもいいけど…なくていいのです。特に公共性が高い文章というものを目指す必要がある場合、個人的な見解、個人の主張の要素は0%でなければなりません。

個人ブログの場合は主観要素が0%である必要はありませんが、しかし個人ブログだからこそ0%であってもいいのです(じつにまどろっこしい分かりにくい言い方だと感じる方もいるかもしれませんが)。

個人が責任を負う前提であれば書く内容は自由。

しかし、ほとんどの個人ブロガーは自分というキャラを捨てません。少し歪んでいたり捻くれていたりするくらいの方が面白かったりしますから捨てる必要もない。だから、ブログのテキストに自分の主観を乗せるのは当たり前…なのであればこそ、自分を乗せなくてもいい。

でも、自分を乗せないほうが資するシーンもある。

例えば、アフィリエイトの記事を書く時に…私の知らない商品を売らなければならないシーンがあったとすれば、自分の記事に主観は不要です。

商品Aを売るときに、その商品Aを知らなくても、その商品Aを買いたい人に、売ることができるように。本当は商品Aなんて自分はほしくないと思っていた場合はなおさら、ネガティブな意見はおくびにも出さないほうがいいに決まっています。「この商品Aは自分は欲しくないけど、お客様にお似合いです」なんて言うおばかさんはいません。主観は無駄です。

そしてここからが私が言いたいことで先にも述べていますが…事実に対して結論を導いて、その理由付けを探してセットで文章をする時、自分の意見を加えるのも加えないのも自由なのです。自由というのは0%もできれば30%もできれば100%もできるということ。自分でコントロールができるということ。とんがった文章を書きたいなら、主観の有無のコントロール幅は0~100%のレンジをとるものだということ。

商品販売の記事でコンバージョン率を上げたいなら自分の主観は0%であればいい…しかし主観を乗せたほうがいいならちょうどよくのせればいい。

というより結論は主観で決まらないのです…という原則に従えば、限りなく主観とは無駄なものなのかもしれません。

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