戯言。面倒くさい死にたいという感覚。

徒然草2.0

年をとると何もかもが面倒くさくなる…んで、そこから脱出したいって気分になるんだろう。

パラシュートなしのダイブでも清々しい、みたいな。生命欲が強いことが善だと思っている人は、あれやこれやと囃すんだ「そんなこと言うもんじゃない」と。

でも、気分の問題なんだから、ほおっておいてとしか言いようがない。

晩年の立川談志って周囲に死にたい死にたいとか言っていたらしい。

芸を極めたから死にたくなるのかねえ?みたいなことを石原慎太郎が尋ねている動画があったけど、そういうんじゃなくて「面倒くさい、死にたい」って感じじゃなかろうか。全部この構文に当てはめて死にたい願望を説明するのは暴論だし的外れだと思うんだけど、突き詰めるとこの原則になるんじゃあないのかな。なんかもう面倒くさいし、考えるのとか健康とか先のこととか。疲労感が募るとがんばろう面倒臭さを越えていこうという意義が自分の中に喪失していく。

三遊亭圓楽(旧楽太郎)が死ぬまで落語やりてえみたいなことを言っていた動画を見たけど、この人はさんざ桂歌丸の死亡ネタで笑わしてきたんで、落語家の意地とか命を最後まで燃やすというか、弱音を表舞台で吐いたら芸崩壊だよね。そういう意味で、大変だなと勝手に想像してしまう。

人は、めんどうとがんばるの二元論の葛藤が無くなったら終わり。まあ、年をとったり、鬱が極まると、死ぬ気力もなくなるらしく、それは分からないわな。きっと文章にしようという気力もないんだろう。喋る余裕もない。生きる意味がない。

そういう意味では、まだまだ自分は元気ですね。

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