戯言。自己肯定感を求める執着心。武道という快楽への逃走。

徒然草2.0

8000人を救ったカウンセラーが警鐘、じつは「自己肯定感」を高めようとしてはいけない

自己肯定感を高めたいという相談をメンターとして受けることが「自己肯定感」という言葉の流行りからか?まま、あったのですが、私は自己肯定感が自分で高いと思っていないし、なぜか自信満々な人に見えるという…こともあるらしいが…そりゃ知識や経験の面で確信的なことはあるんだけど、それって別に自己肯定感と違うしなーと思っていた。だから、専門家の人からはやくこういう意見が出てほしいなと思っていた。自分だとうまく言語化できない。

むしろ自分の哲学的な命題は「自己と他人の境界線」なんてものは幻想つーのでして、そもそも自己幻想が人間が人間足らしめている要因であると同時にあらゆる問題の根本的なものとして、人間文明を否定している立場にさえあるわけでして、そもそも自己肯定感というものは自己に伴うものだから自己肯定感てイメージはできるけどとことん宙空に浮かんだ存在でありファンタージーやドリームと変わらない話に聞こえて「はぁ?」「ほぉ(何のこと?)」てなってしまう。

いや…自信を高めたいという理由で武道を修行していたこともありますから「自己肯定感」なるものを求める気持ちは、わからなくないですが、いろいろと施策した結果「武道と自己修養は関係ないな」というのが自分なりの結論でしたし。むしろ武道に自己保存を求めることが歪んだ理由だということに気づいたと言ったほうがいいかも。武道に浸っている自分が気持ちよかったので…その時の快楽を探していたが…苦痛のほうが大きくなってきてまったので辞めた…という、しょうもない感じです。世の中的に言われる「武道をしているからストイック」なんていうのは勘違い甚だしいと思います。ストイックさが快楽だから修行しているだけだと私は思います。宗教を持っていた方がいい人みたいな依存症的な感じで武道と向き合うことそのものが結果として好転しない形式に陥っている人もいて、自分はその一部なんだなと自覚しだしたら急に武道・格闘技の熱が冷めていったというのもある。武道そのものをエキサイトや健康リスク回避のために継続しているのは結構なのですが、そこに快楽や逃避行為という自慰行為的に利用している人も中にいて、それはそれで結構なんですが自分はみっともないなと思うから自分はやりません(自慰行為に嫌悪感を抱かない人がやり続ければいいだけの話)単純に年齢的な問題で闘争本能みたいなのが消えていったということもあるかもしれないけど…で自己を認めない立場なので、自己肯定感なんてオプションは、そもそもがもう懐疑的なプロパティです。その変数はなにか物事を取り組むにあたって参照していってないよ?wみたいな感じ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました